二つの上級士官学校
七月。
兵学館の視察を終えた那須資忠と陶晴賢は、治彦とともに兵学館本館の一室へ向かった。
小田城は大規模な改装工事の最中にあり、氏治は現在、土浦の兵学館を仮の政務拠点としていた。軍務や学務に関する報告を受けるには、かえって都合のよい場所でもあった。
三人が通された部屋では、氏治が各地から届いた書状に目を通していた。
「戻ったか、那須、陶。」
氏治は筆を置き、二人を見た。
「兵学館はどうであった。」
那須は一礼する。
「よくも悪くも、我らが学んでいた頃より、ずっと学校らしくなっておりました。」
「突飛な学生は減りましたが、教育課程は整い、教官も育ち、兵学館そのものが落ち着きを見せております。」
氏治は満足そうに頷いた。
「それはよい。」
「新しく作ったものが、いつまでも新しいままでは困るからな。」
陶も一礼した。
「本日は、その視察を踏まえ、水軍教育について上奏がございます。」
氏治は書状を脇へ寄せた。
「聞こう。」
那須は机の上へ海図と制度案を広げた。
「当初、私は土佐中村に水軍士官学校を一つ設ければよいと考えておりました。」
「しかし海戦に関する資料を調べ、また治彦殿、陶殿と話し合った結果、一つの学校ですべてを担わせるのは難しいと判断いたしました。」
氏治は黙って続きを促す。
「日本の水軍は、安宅船を中心とする白兵戦を主としております。」
「海戦とは申しましても、実態は船上で行う陸戦の延長に近い。」
「しかも海上での戦は陸上戦ほど多くなく、海賊衆との小規模な衝突も多いため、戦例の記録や集積が進んでおりません。」
治彦が補足した。
「西洋でも事情は似たようなものです。」
「古代のギリシャやローマでは、ガレー船による衝角戦術こそありましたが、最後は敵船へ乗り込んでの白兵戦でした。」
「火器や大砲を用いた海戦は、西洋でも今まさに始まったばかりです。」
「艦隊をどう動かすか、砲撃と接舷をどう使い分けるか。まだ確立された答えはありません。」
氏治は興味深そうに海図を見た。
「西洋にも答えはないか。」
「はい。」
治彦は頷く。
「中国には河川戦や楼船、火船などの記録が多く残っている可能性がありますが、それを調べたとしても、こちらで実戦と照らし合わせる必要があります。」
「つまり、他国から完成した海戦術を借りることはできません。」
「自分たちで記録し、試し、積み重ねなければならないということです。」
そこで陶が口を開いた。
「それゆえ、水軍学校を二つに分けるべきと考えます。」
氏治は陶へ視線を向ける。
「二つに。」
「はい。」
陶は海図の中央に置かれた堺を指した。
「まず、水軍を志す若者へ基礎を教える専門課程です。」
「堺に置くのがよいでしょう。」
「ここでは操船、航海、測量、潮流、造船、砲術、兵站、船団勤務の基礎を教えます。」
「ただし、卒業してすぐ上級士官とすることはありません。」
那須が引き継ぐ。
「卒業生は、一度現場へ配属いたします。」
那須は海図の四か所を順番に示した。
「相馬。」
「鹿島。」
「洲本。」
「伊予。」
「この四つが主な配属先となります。」
相馬では北方海域と長距離航海。
鹿島では外洋と太平洋沿岸。
洲本では瀬戸内の複雑な潮流と船団運動。
伊予では瀬戸内西部、豊後水道、南海航路。
「卒業生は各水軍で勤務し、護衛、輸送、警備、交易、海賊取締りを経験します。」
「そのうえで、上官から推薦を受けた者だけを、土佐中村へ進ませます。」
氏治が尋ねる。
「中村が上級学校となるのだな。」
「はい。」
那須は別の書付を広げた。
そこには、土佐中村上級水軍学校と記されていた。
「中村に入れるのは現役だけです。」
「しかも本人の志願だけでは足りません。」
「相馬、鹿島、洲本、伊予をはじめとする各水軍の上官から推薦を受けた者に限ります。」
「ここでは水夫を育てるのではなく、水軍士官を育てます。」
陶が続ける。
「艦隊運動。」
「戦闘指揮。」
「作戦立案。」
「砲撃と接舷の使い分け。」
「航路と補給の設計。」
「戦闘記録の作成と分析。」
「場合によっては、海賊討伐にも参加させます。」
氏治が眉をわずかに上げる。
「学生に海賊討伐をさせるのか。」
陶は首を横に振った。
「堺で学んでいる若者にはさせません。」
「中村へ入るのは、すでに現場を経験し、上官から推薦された者です。」
「それでも単独で戦わせることはありません。」
「現役水軍の一部として参加させ、戦闘後には必ず報告を作らせます。」
「勝敗だけではなく、風、潮、隊形、砲撃、敵の逃走、追跡、拿捕まで記録し、学校へ蓄積するのです。」
氏治はしばらく制度案を眺めていた。
やがて、静かに頷く。
「よく考えられている。」
那須と陶は頭を下げた。
だが、氏治はすぐには裁可を告げなかった。
「ただし。」
その一言で、部屋の空気が引き締まる。
氏治は堺と中村を結ぶ線を指先でなぞった。
「このまま水軍だけに独自の上級学校を与えれば、やがて水軍の者は水軍の者だけで固まる。」
「同じ学校を出た者を引き立て、同じ考えの者だけで人事を回すようになるかもしれん。」
「水軍閥だ。」
那須は表情を改めた。
氏治は続ける。
「そうなれば、陸軍も対抗してまとまる。」
「陸軍閥と水軍閥が生まれ、互いに予算と人材を奪い合う。」
「海を知らぬ陸将が水軍を軽んじ、水軍の将が陸の事情を顧みなくなる。」
「軍が二つに割れるのは、好ましくない。」
陶は静かに頷いた。
「確かに、その危険はございます。」
「ゆえに、陸軍側にも同じだけの道を用意する。」
氏治は新しい紙を引き寄せた。
「兵学館を作った頃、我らは即戦力を求めていた。」
「領地が急速に広がり、どこも人が足りなかった。」
「卒業生はすぐ方面へ送られ、城を預かり、軍を率いた。」
「もう一年学ばせたいと思っても、そんな余裕はなかった。」
那須たち初期の卒業生が兵学館を出た頃は、まさにそうだった。
学んだ者から順に現場へ送り出さなければ、拡大する領地を支えられなかった。
氏治は窓の外へ目を向けた。
訓練場では、若い生徒たちが規律正しく隊列を組んでいる。
「だが、今は違う。」
「諸方面の体制は整った。」
「兵学館の卒業生を一人でも早く現場へ送らねばならぬ時代は終わりつつある。」
「これから求めるべきは、数より質だ。」
氏治は筆を取った。
白紙の中央へ、大きく文字を書く。
上級士官学校。
「二年制とする。」
那須が身を乗り出した。
「陸軍にも上級課程を設けられるのですか。」
「そうだ。」
氏治は頷く。
「兵学館の卒業生、あるいは現場で十分な実績を積んだ者から選抜する。」
「二年間、単なる戦術ではなく、軍団全体を動かすための教育を施す。」
「方面軍の運営。」
「兵站。」
「築城。」
「財政。」
「外交。」
「行政。」
「産業。」
「道路と水運。」
「各兵種の協同。」
「戦後処理。」
「そして、後進を育てるための教導法。」
陶が感心したように呟く。
「一隊を率いる将ではなく、一方面を預かる将を育てる学校ですな。」
「その通りだ。」
氏治は制度案の上へさらに線を引いた。
「水軍の上級士官学校が中村にあり、陸軍の上級士官学校が兵学館にある。」
「互いに完全に離してはいけない。」
「共同講義や合同演習を行わせる。」
「陸の将にも海上輸送と水軍運用を学ばせ、水軍の将にも上陸戦、築城、陸上兵站を学ばせる。」
治彦が頷いた。
「それなら陸軍閥と水軍閥が完全に分かれるのを防げます。」
「むしろ別々の専門を持ちながら、上級士官同士が互いの考えを知ることになる。」
「そういうことだ。」
氏治は地図を引き寄せ、兵学館の南側を指した。
「上級士官学校の場所は、兵学館そのものの敷地内には置かぬ。」
「既存の生徒と同じ場所に入れれば、役割が曖昧になる。」
「湖南地域に独立した校地を定める。」
霞ヶ浦の南、兵学館から船や街道で行き来できる距離。
演習地を確保しやすく、湖上訓練や輸送演習にも利用できる土地である。
「兵学館の近くではあるが、別の学校だ。」
「上級士官としての自覚を持たせるため、寮も教場も独立させる。」
「ただし教官、図書、工房、演習場は兵学館と共有できるようにする。」
那須は深く頭を下げた。
「見事な御裁定にございます。」
陶も続いて一礼する。
「水軍だけを特別にするのではなく、陸軍も同時に改める。」
「これなら双方が競いながらも、同じ軍として育ちましょう。」
氏治は二つの制度案を並べた。
一つは、堺の専門水軍課程から各水軍を経て中村へ至る道。
もう一つは、兵学館から現場経験を経て湖南の上級士官学校へ至る道。
「裁可する。」
氏治は明言した。
「堺に水軍専門課程を置く。」
「相馬、鹿島、洲本、伊予を実地勤務の主要拠点とする。」
「土佐中村には、現役推薦者を対象とする上級水軍学校を置く。」
「そして湖南には、二年制の上級士官学校を新設する。」
「陸と海、いずれか一方だけを強くするのではない。」
「双方を育て、最後には一つの軍として働かせる。」
那須と陶は揃って深く頭を下げた。
「はっ。」
この日、土浦の兵学館で下された裁可は、単なる学校新設にとどまらなかった。
急速な拡大を支えるため、即戦力を次々と送り出してきた時代は終わろうとしていた。
これからは、現場で経験を積んだ者を再び学びの場へ戻し、より広い視野を持つ指揮官へ育てる。
堺の水軍専門課程。
土佐中村の上級水軍学校。
そして、兵学館に隣接する湖南の二年制上級士官学校。
それらは陸と海を分断するための学校ではない。
異なる専門を持つ者たちを、最後には同じ国を背負う将へ育てるための、新しい軍制の柱となるはずだった。




