道後の湯煙、その名は賢晴
春の道後温泉。
四国遍路の折にも立ち寄った湯へ、那須と陶は再び身を沈めていた。
湯煙が静かに立ち上る中、陶は不意に口を開く。
「そういえば、お主にはまだ話しておらなんだな。」
那須は湯に浸かったまま陶へ目を向ける。
「わしには孫がおる。」
意外な言葉だった。
「名を賢晴という。」
しばらく静寂が流れる。
「兵学館へ入れた。」
「大掾義康以来となる進級を許された。」
那須はうなずく。
大掾義康は通常課程を修めた後、その才を認められ進級を許された兵学館屈指の秀才であった。
陶は小さく笑う。
「じゃが賢晴は少し違う。」
「あやつは四年で兵学館を卒業してしまった。」
「四年で……。」
「教官どもが、もう教えることは無いと言うてな。」
陶は懐かしそうに目を細めた。
「奇しくも、お主と同じ白虎寮じゃ。」
那須も思わず笑みを浮かべる。
白虎寮。
兵学館四寮の中でも、武芸を究め、武器を己の身体の延長とすることを信条とする寮である。
ただ剣や槍を振るうのではない。
身体の運び、呼吸、間合い、姿勢、力の流れ。
それらすべてを鍛え上げ、身体と武器を一つにすることを理想としていた。
「賢晴もまた、副寮長を務めた。」
「武も強かった。」
「じゃが、それ以上に恐ろしかったのは戦略よ。」
「戦場を見れば、その先を読んでしまう。」
陶は少し寂しげに笑う。
「だからかもしれん。」
「何の因果か、自ら望んで南蛮へ渡った。」
「今はフランスの戦地におる。」
那須は言葉を失う。
世界の果て。
異国の軍勢の中で、一人の日本人が戦を学んでいる。
「厳島で死ぬはずだったのは、わしじゃ。」
陶は静かに湯面を見つめた。
「生き残ったわしが四国で湯に浸かり、孫は世界の果てで命を懸けて戦う。」
その顔は、西国随一の名将ではない。
ただ、一人の祖父だった。
「武功など望まぬ。」
「異国で名を上げる必要もない。」
「ただ、生きて帰ってきてくれれば、それでよい。」
那須は何も言わなかった。
湯煙の向こう、西の海の果てを見つめる陶の背には、老将の孤独だけが漂っていた。
――陶賢晴。
兵学館をわずか四年で卒業した天才。
白虎寮副寮長。
武器と身体を一つとする白虎の教えを極め、なお満足せず、自ら世界へ渡った青年。
その名を知る者は、まだ日本にはほとんどいなかった。




