坂東フリガッタ造船計画
評定の結果、坂東海軍は交易船と軍船を明確に分離し、新たな海軍整備計画である**「坂東フリガッタ造船計画」**を発動することが決定された。
まず鹿島では、従来の坂東ガレオンを改良し、戦闘よりも交易・兵站・兵員輸送に特化した新たな旧式坂東ガレオンを建造する。この事業は長年にわたり坂東水軍を率いてきた鹿島政道と鹿島政清の両名に一任され、坂東の海外交易と各地への輸送を担う船団として整備されることとなった。ガレオンは大型帆船として軍用・商用双方に発展した船型を基礎としている。
一方、新たな軍船である坂東フリガッタは四国で建造される。土佐・伊予・紀伊・大和から良質な木材を集め、そのすべてを土佐中村へ集中させ、大規模な造船所を設置することが決まる。
艦に搭載する小型砲、砲門砲、船首砲、船尾砲については、鉄砲・鋳造技術に優れた堺へ発注し、完成した火砲を土佐で建造された船体へ据え付ける分業体制を採用した。
さらに運用拠点として、
淡路を瀬戸内海の寄港・補給基地
伊予を坂東海軍最大の軍港
と定めた。
伊予軍港の整備は那須資忠に命じられ、豊後水道・瀬戸内海・南海航路を監視する海軍拠点の建設を担当する。
淡路については松永久秀に一任され、補給・修理・情報収集・兵站を統括する前線基地として整備することが決定した。
また、艦載砲の研究・製造は佐野昌綱が総責任者となり、堺の職人たちと協力して坂東フリガッタ専用火砲の開発を進める。
そして海軍全体を統括するため、大掾幹康を海軍奉行に任じ、土佐へ派遣することが決定した。大掾は造船・艦隊編成・水軍訓練・補給のすべてを統括し、坂東初の常備海軍創設という大任を担うのであった。
この計画により、坂東海軍は交易を担う坂東ガレオンと、日本近海での高速戦闘を担う坂東フリガッタという二本柱を確立し、軍事と経済を完全に分離した新たな海軍体制へと移行していくこととなった。なお、「フリゲート」は本来は後世の用語だが、創作世界における新艦種名として位置付ける形であれば自然な設定になる。




