百年先の海を読む者
――兵学館 講堂 慶長元年(1568年)年の瀬。
氏治の急使は、日本各地へと駆けた。
> 「年末の予定をすべて中止せよ。直ちに鹿島兵学館へ参集されたし。」
理由は一つも記されていない。
伊予の那須資忠は政務を家臣へ託し、摂津の佐野昌綱は役人へ仕事を申し付け、淡路の松永久秀も海へ船を出した。
数日後。
鹿島兵学館。
講堂へ足を踏み入れた一同は思わず足を止めた。
壇上には大小様々な木製模型が並んでいた。
丸々とした巨大な帆船。
細身の快速船。
幾十本もの櫂を備えた軍船。
そして異国の羅針盤や測量器具、帆布、錨、滑車まで整然と置かれている。
佐野が目を細めた。
「……南蛮船か。」
氏治は微笑む。
「いや。」
「今日は船を見せるためではない。」
「海を見せるためだ。」
その時、講堂の奥から一人の男が姿を現した。
日焼けした顔。
以前より引き締まった身体。
その眼には、自信とも確信とも違う、不思議な静けさが宿っていた。
「皆様、ご無沙汰しております。」
大掾幹康である。
氏治が立ち上がる。
「諸君。」
「本日の招集は評定ではない。」
「兵学館教授、大掾幹康帰国披露。」
静かな拍手が広がった。
大掾は一礼すると、一隻の模型を手に取った。
「皆様。」
「この船をご存じでしょうか。」
誰も答えない。
「これは西洋でガレオンと呼ばれております。」
松永が笑う。
「名は聞くが、それが何なのかは誰も知らぬ。」
講堂に笑いが起きる。
大掾も苦笑した。
「その通りです。」
「実は西洋でも国によって呼び名が違い、初めて学ぶ者には非常に分かりづらい。」
「そこで兵学館では整理いたしました。」
彼は背後の板へ三本の線を書く。
> ナウ系
> カラベル系
> ガレー系
「この三つだけ覚えてください。」
皆が身を乗り出す。
大掾は最も大きな模型を持ち上げた。
「まずはナウ。」
「古き西洋の言葉で、もとは『船』そのものを意味する言葉でした。」
「それが時代を経て、大型外洋船を指す名となります。」
模型を回しながら説明する。
「荷を積む。」
「人を運ぶ。」
「海を渡る。」
「交易を行う。」
「国家を富ませる。」
「この思想がナウ系です。」
続いて細身の模型を掲げる。
「こちらはカラベル。」
「ポルトガルが育てた快速帆船。」
「積むためではありません。」
「世界を探すための船です。」
模型を軽く揺らす。
「軽い。」
「速い。」
「風を読む。」
「未知の海へ進む。」
「これがカラベル系。」
最後に長く細い模型を持つ。
櫂が何十本も並ぶ。
「そしてガレー。」
「これは古代エジプト、フェニキア、ギリシャ、ローマより続く漕船の系譜。」
「風ではなく、人が船を進めます。」
「白兵戦を行う軍船です。」
三隻が講壇へ並ぶ。
講堂は静まり返る。
「西洋の船は。」
「突き詰めれば、この三系統へ帰ります。」
氏治が静かに頷いた。
「分かりやすい。」
大掾は微笑み、新たな模型を中央へ置く。
「では。」
「この船は何でしょう。」
巨大でありながら、どこか細身。
船楼は以前の大型船より低い。
舷側には砲門が並ぶ。
「これがガレオン。」
「最新の軍船です。」
佐野が腕を組む。
「ナウとは違うのか。」
「違います。」
「しかし祖は同じです。」
大掾はナウとガレオンを並べる。
「ナウは積む船。」
「ガレオンは戦う船。」
「ナウの積載力を受け継ぎ。」
「カラベルの帆走性能を取り入れ。」
「軍船として完成した姿。」
「それがガレオンです。」
松永が静かに問う。
「ならば。」
「なぜ、その最新の船が坂東にある。」
講堂の空気が変わった。
大掾は首を横へ振る。
「持ち帰ったのは船ではありません。」
「知識です。」
彼は模型へ静かに手を置く。
「兵学館で私は歴史を学びました。」
「歴史とは。」
「過去を暗記する学問ではありません。」
「未来を読む学問です。」
誰も言葉を発さない。
「西洋で初めて本物の帆船を見ました。」
「造船所で一本の木が船になる様を見ました。」
「その瞬間。」
「兵学館で学んだ知識が、すべて一本につながったのです。」
彼は講堂全体を見渡した。
「私は百年先を見たのではありません。」
「歴史の流れが、百年先を教えてくれたのです。」
氏治は満足そうに頷く。
「続けよ。」
大掾は一礼した。
「では次に。」
「西洋を知ったならば。」
「東洋を知らねばなりません。」
そう言って一歩退く。
講壇には、一人の男が静かに歩み出た。
陳である。
彼の背後には、中国の巨大な楼船や福船、そして日本の和船の模型が静かに並べられていた。。




