決戦への船出
夏は終わろうとしていた。
久万の山々には蜩が鳴き、川之江を流れる川もようやく穏やかさを取り戻し始める。
幾度となく繰り返された戦は、ひとまず静けさを迎えていた。
しかし、その静けさは終わりの始まりでもあった。
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岡豊城。
長宗我部元親は重臣たちを前に静かに口を開いた。
「兵を引く。」
広間はざわめいた。
元親は構わず続ける。
「今年の実りは思わしくない。」
「兵の多くは農を営む者たちだ。」
「秋を失えば、土佐そのものを失う。」
家臣たちは黙って聞いていた。
久万城は落ちなかった。
川之江でも十河、香川、安宅は那須に退けられ続けている。
これ以上戦えば国が痩せる。
そのことは誰もが理解していた。
しかし、一人の家臣が立ち上がる。
「殿!」
「ここで退けば伊予を諦めることになりますぞ!」
別の武将も続く。
「あと一押し。」
「あと一度だけ兵をまとめれば久万は落ちます!」
「那須もいつまでも勝ち続けられるものではありませぬ!」
広間はたちまち二つに割れた。
停戦を望む者。
なお戦を望む者。
元親はしばらく皆の言葉を聞いていた。
やがて静かに立ち上がる。
「まず兵を帰す。」
「秋の収穫を守る。」
「その後。」
元親はゆっくりと言葉を置いた。
「最後の一戦を行う。」
広間は静まり返る。
「その一戦で決する。」
「勝てば伊予へ進む。」
「敗れれば、この戦は終わりだ。」
誰も異を唱えなかった。
長宗我部元親は家中へ、自ら最後の決断を示したのである。
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その報は、ほどなく川之江へ届いた。
那須資忠は書状を読み終えると静かに頷いた。
「受けよう。」
本多正信は地図を広げる。
「決戦は久万となりましょう。」
「陶殿も出陣されます。」
那須は岩成友通へ向き直った。
「岩成殿。」
「川之江を頼む。」
岩成は深く頭を下げた。
「必ず。」
「守り抜きます。」
那須は続ける。
「兵を休ませよ。」
「十分戦った。」
「城を守ることが役目だ。」
「決して無理はさせるな。」
「はっ。」
岩成は強く答えた。
戦ばかり求めたかつての男へ、守るという務めが託された瞬間だった。
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その頃。
讃岐では、松永久秀が病に伏したとの噂が国中へ広まっていた。
「松永殿は重い病。」
「床から起き上がれぬらしい。」
その話は十河、香川、安宅の耳にも届く。
「だから援軍が来なかったのか。」
「病では仕方あるまい。」
そう思う者もいた。
だが真実は違った。
夜。
人払いされた座敷で松永は静かに起き上がる。
顔色もよく、歩みに衰えはない。
側近が苦笑した。
「殿。」
「もう十分では。」
松永は扇を開いて笑う。
「まだ足りぬ。」
「怒りは、誰かへ向かわねば収まらぬ。」
「ならば。」
「わしが受けよう。」
「皆が納得して最後の戦へ向かうためにな。」
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翌日。
十河、香川、安宅の三家が松永の館へ集まった。
松永は広間へ入るなり、何も語らず深く頭を下げる。
「川之江では。」
「皆様との約を違えました。」
「申し訳ござらぬ。」
十河の将が怒声を上げる。
「援軍さえあれば!」
香川も拳を握る。
「我らだけを那須へ向かわせた!」
安宅の将も睨みつけた。
「病とは、よく申されたものだ。」
松永は一切言い返さない。
ただ黙って謝り続けた。
やがて怒声が収まると、松永は静かに地図を広げた。
指先は土佐・岡豊城を示す。
「長宗我部元親殿は。」
「最後の決戦を望まれました。」
三家が顔を上げる。
松永は穏やかに続けた。
「今度こそ。」
「皆様を見捨てることはいたしませぬ。」
「兵糧も。」
「矢も。」
「火薬も。」
「船も。」
「すべて、この松永が用意いたします。」
「安宅殿。」
「船をお借りしたい。」
「十河殿。」
「香川殿。」
「ともに岡豊へ参りましょう。」
「勝っても負けても。」
「これを最後の戦といたしましょう。」
三家は互いに顔を見合わせる。
ここまで頭を下げられては、怒りを引きずることもできない。
やがて十河が立ち上がった。
「よかろう。」
香川も頷く。
「最後だ。」
安宅は静かに答えた。
「海は任せよ。」
松永は深々と頭を下げた。
その顔を上げた時、誰にも見えぬほどわずかに笑みを浮かべる。
(これでよい。)
(皆、言い訳なく戦える。)
(全てを尽くして敗れれば、人はようやく戦を終えられる。)
数日後。
讃岐の港には大小の船が並び、十河、香川、安宅の兵が次々と乗り込んでいく。
船首には松永の旗。
その後ろには三家の旗が潮風を受けて翻る。
船団はゆっくりと土佐・岡豊を目指した。
やがて始まる最後の決戦へ向けて。
瀬戸内の海は、静かに彼らを送り出していた。




