折れぬ者
雨が続いていた。
だが、その雨も終わりを迎えようとしていた。
雲の切れ間から、わずかに青空が覗く。
濁流だった川も少しずつ水位を下げ始め、兵たちは誰もが同じことを考えていた。
――梅雨が明ける。
そして、決戦が来る。
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その日、十河・香川・安宅の三家は再び軍議を開いていた。
誰の顔にも疲労が浮かんでいる。
何度戦っても、川之江は落ちない。
兵はまだ残っている。
将も健在である。
それでも、誰も勝てるとは言えなくなっていた。
長い沈黙のあと、香川の将が口を開く。
「我らは何を恐れている。」
十河の将が苦く笑う。
「那須の弓だ。」
「違う。」
香川の将は首を振る。
「弓ではない。」
「奴だ。」
その一言で、誰も言葉を失った。
安宅の大将は静かに頷く。
「雨なら弓は利かぬ。」
「近ければ刀を抜く。」
「そう思った。」
「だが奴は違った。」
「我らが常識を、一つずつ捨てさせてくる。」
十河の老臣が唸る。
「ならばどうする。」
誰も答えない。
勝つ策ではない。
もう彼らが考えているのは、
どうすれば那須という男に届くのか。
その一点だった。
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一方、川之江。
那須は一人、城外の河原へ立っていた。
雨上がりの風が吹く。
川はまだ濁っている。
彼は静かに一本の矢を取り出した。
番える。
放つ。
矢は対岸の柳の枝を射抜いた。
続いて二本目。
三本目。
どれも同じ場所へ吸い込まれる。
本多正信は離れた場所から見ていた。
「的がない。」
思わず呟く。
那須は的を置いていない。
木。
石。
流木。
揺れる枝。
風。
すべてが的だった。
その時だった。
那須は弓を下ろした。
「本多殿。」
「はい。」
「敵は何を考えている。」
本多は少し考えた。
「那須殿を倒すことです。」
「違う。」
那須は川を見たまま答える。
「私を倒す方法を考えている。」
本多は息を呑んだ。
確かにそうだった。
敵は勝つことではなく、
那須をどう攻略するかばかり考えている。
那須は静かに続けた。
「それでよい。」
「え?」
「敵が私だけを見るようになれば。」
「陶殿の策は成った。」
本多はようやく理解した。
敵はもう川之江を見ていない。
兵糧も。
河野も。
今治も。
見ていない。
ただ。
那須資忠だけを見ている。
だからこそ陶は、
心が折れるまで戦わせよと言ったのだ。
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その頃。
久万城では陶晴賢が雨漏りする櫓で地図を広げていた。
城兵が報告する。
「長宗我部勢。」
「兵を下げ始めました。」
陶は驚かなかった。
「そうか。」
それだけだった。
兵が不思議そうに尋ねる。
「追われますか。」
陶は首を横へ振る。
「追わぬ。」
「敵は。」
「まだ帰っておらぬ。」
兵は意味が分からなかった。
長宗我部軍は退いている。
ならば勝ちではないのか。
陶は静かに笑う。
「元親殿は戦を終えたい。」
「だが。」
「家中が終わらせぬ。」
「だから。」
「最後の一戦が必要になる。」
その目は遥か川之江を見ていた。
「那須殿。」
「あと一つですぞ。」
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数日後。
雨は止んだ。
空は久しぶりに青く晴れ渡る。
城下では兵が具足を干し、
弓兵は乾いた弦へ張り替え、
槍隊は穂先を磨く。
皆が決戦を予感していた。
その朝。
一騎の使者が川之江へ駆け込んだ。
馬は泡を吹き、
使者も泥だらけだった。
「申し上げます!」
「長宗我部元親!」
「全軍を集結!」
「最後の決戦を望むとのこと!」
広間が静まり返る。
那須は立ち上がる。
本多は陶の言葉を思い出した。
――あと一つ。
那須は弓を取り、
静かに言った。
「ようやく。」
誰もが顔を上げる。
「敵が。」
「戦を終わらせに来る。」
その一言に、
長い四国の戦いが、
ついに最後の局面へ入ったことを誰もが悟った。




