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海上の扇

夜明け前。

川之江の海は、まだ夜の色を残していた。

東の空だけがわずかに白み、穏やかな波が砂浜へ寄せては返している。空と海の境は薄い霧に溶け、沖に浮かぶ船影も、近づいたかと思えば次の瞬間には見えなくなった。

潮の匂いに混じって、湿った木と油の匂いが漂う。

安宅の船団が動いていた。

物見櫓の上で、那須資忠は黙って沖を見つめていた。

眠ってはいない。

昨夜から一度も櫓を降りず、潮の動きと船の位置を確かめ続けていた。

安宅勢は十河や香川とは違う。

陸の道を進まない。

丘や窪地へ誘い込むこともできない。

彼らにとって海は道であり、城であり、逃げ場でもある。

船を沈めれば勝つことはできる。

だが、それでは策の目的を果たせない。

水軍の兵を海へ沈め、安宅の船を奪えば、彼らは敗北を認めるより先に怨みを抱く。次は勝つためではなく、復讐のために来るだろう。

逆に一艘も傷つけず逃がせば、自分たちは負けていないと言い張れる。

那須が望むのは、そのどちらでもなかった。

船も兵も残す。

だが、水軍としての勝ち筋だけは奪う。

そのために射るべきものを、那須は夜の間ずっと探していた。

「殿。」

背後から声がした。

小笠原長景である。

頬の傷には白い布が当てられていたが、弓を携えた姿に昨日の疲れは見えなかった。

「船が分かれました。」

長景は沖を指した。

霧の中で、安宅の船団は三つに分かれつつあった。

中央の船団は正面の浜へ向かう。

北へ回る一隊。

そして南から城の背後を窺う一隊。

那須の兵を三方へ分散させ、その隙にどこか一つから上陸するつもりなのだろう。

「昨夜のお見立てどおりです。」

長景が言った。

那須は頷いた。

「だが、まだ上陸する浜は決めておらぬ。」

「決めていない?」

「我らの動きを見てから決める。」

安宅勢は陸の二家の敗北を見ている。

十河は先走り、香川は策へ誘われた。

だから安宅は、先に手を見せない。

三方から迫り、那須がどこへ兵を出すかを見極めてから、本当の上陸地点を選ぶ。

長景は沖を見つめた。

「では、こちらも動かなければよい。」

「動かねば、三方すべてから上がってくる。」

「ならば、どうなされます。」

那須は霧の中で翻る帆を見た。

「すべてへ動く。」

長景は眉を上げた。

「兵を分けるのですか。」

「分けたように見せる。」

那須は櫓を降りた。

「大久保兄弟を呼べ。」

「小笠原殿にも、弓隊の支度を頼む。」

「船を迎えるのではない。」

「浜を空けるぞ。」

夜が明ける頃、川之江城下は慌ただしく動き始めた。

大久保忠世は北の浜へ。

弟の忠佐は南の浜へ。

小笠原長時と長景は中央の浜へ。

それぞれが旗を掲げ、兵を率いて城外へ出た。

城に残る兵は少ない。

少なくとも、沖からはそう見えた。

大久保忠佐は南へ向かう途中、何度も背後を振り返った。

「本当に浜を空けるのですか。」

那須家の者が答える。

「殿の命にございます。」

「昨日までは道を空け、今日は浜を空けるか。」

忠佐は槍を担ぎ直した。

「那須家に仕えると、敵へ譲るものばかり増えるな。」

だがその声に、以前のような不満はなかった。

十河との初戦では、追撃を止められた。

香川との戦では、自ら兵を止めた。

那須の命が臆病から出たものではないことを、忠佐はすでに理解していた。

敵を逃がすためには、まず敵が逃げるしかないところまで追い詰めねばならない。

那須が譲っているのは勝利ではない。

敵に、次の選択をさせるための道である。

「今度は海へ道を作るか。」

忠佐は沖を見て笑った。

「どのような道になるか、見せてもらおう。」

安宅方の旗船では、陸上の動きが逐一報告されていた。

「那須勢、三手に分かれました!」

「北に大久保忠世!」

「南には弟の忠佐!」

「中央の浜には小笠原父子!」

報告を聞いた安宅方の将たちは顔を見合わせた。

狙いどおりである。

一つの船団を三つに見せ、那須の兵を分散させる。

その上で、最も守りの薄い浜へ兵を集中する。

陸の者には、海上の船がどれほど速く集まり、どれほど素早く離れられるか分からない。

一人が絵図を指した。

「中央を囮とし、北へ集めるべきかと。」

別の将が首を振る。

「いや。北には忠世がおる。あれは守りが堅い。」

「ならば南か。」

「忠佐は前へ出る将だ。兵を上げれば食いついてくる。その間に中央へ回せる。」

意見が割れる。

だが彼らの顔には、十河や香川の陣にあった迷いはなかった。

海上では、自分たちが主導権を握っている。

船は自由に動く。

那須勢は陸を走るしかない。

こちらが北へ向かえば北へ。

南へ向かえば南へ。

敵は常に後手へ回る。

それこそが安宅水軍の戦だった。

旗船の上で、帆が大きく張った。

朝の風が海から陸へ吹き始めている。

「中央をさらに進ませよ。」

安宅方の大将が命じた。

「那須に、我らが正面から来ると思わせる。」

「北と南は潮待ちの後、一気に寄せる。」

船上の兵たちは威勢よく応えた。

二家の失敗を見たからこそ、自分たちは負けられない。

陸では十河。

策では香川。

海では安宅。

三家を支える最後の誇りが、帆いっぱいに風を受けていた。

中央の浜では、小笠原長時が沖を眺めていた。

安宅の船がゆっくりと近づいてくる。

船首には盾を並べ、その隙間から弓兵がこちらを狙っている。

船上から矢を浴びせ、浜の守備兵を散らしてから上陸するつもりだ。

長景が尋ねた。

「射程へ入ります。」

「まだ射るな。」

「ですが、向こうから射てきます。」

「射たせよ。」

ほどなく、船から矢が飛んできた。

まだ距離があり、ほとんどは浜へ届かず海へ落ちる。

それでも何本かは砂浜へ突き立った。

小笠原勢は盾を上げたが、応射しない。

船がさらに近づく。

安宅方は、敵が恐れていると見た。

「小笠原は射返してこぬ!」

「浜へ寄せよ!」

櫂が一斉に動く。

船首が波を割り、中央の船団が速度を上げた。

その時、浜の後方から法螺貝が鳴った。

小笠原勢が一斉に退き始める。

安宅方の船上で歓声が上がった。

「退いたぞ!」

「やはり船からの矢には耐えられぬ!」

「浜へつけよ!」

中央の船団はますます前へ出た。

北と南の船も、それに呼応するように進み始める。

三方の船が浜へ寄る。

那須勢は、それぞれの浜から内陸へ退いていく。

安宅方の将は確信した。

那須は陸戦には長けている。

だが、水軍との戦い方を知らない。

船を恐れ、どこへ上陸されるか分からず、兵を分けた。

そして今、船上からの矢だけで浜を捨てようとしている。

「上陸せよ!」

命令が下った。

小舟が下ろされる。

兵が乗り移り、浜へ向かう準備を始める。

その時だった。

旗船の帆が、不意に緩んだ。

「風が変わったか?」

船頭が空を見上げる。

風は変わっていない。

むしろ先ほどより強い。

だが帆の上端を支えていた綱が、一本切れている。

「綱が!」

船員が叫ぶ。

帆が片側へ傾き、旗船の速度が落ちた。

続いて、隣の船でも帆が崩れた。

さらに一艘。

また一艘。

帆そのものは破れていない。

だが、帆柱と横木をつなぐ綱が次々と断ち切られていた。

船頭たちは慌てて周囲を見回した。

矢が飛んでくる。

浜からではない。

少し離れた岬の岩場。

霧と松の陰に、弓を構える一団がいた。

その中央に那須資忠が立っている。

「那須だ!」

声が上がった。

那須は浜の三隊と共にいなかった。

城にも残っていない。

夜のうちに少数の弓兵と岬へ移り、船団の側面を取っていたのである。

陸から浜を守るのではなく、船が帆を張り、横腹を見せる場所を待っていた。

那須は次の矢をつがえた。

狙うのは兵ではない。

船腹でもない。

帆を張るための綱。

舵を操る者の手でもなく、舵と船体を結ぶ縄。

錨を上げ下げするための索。

船を動かすために欠かせないが、切れても船が沈むことはない場所だった。

矢が飛ぶ。

一本の索が断たれ、帆が落ちる。

小笠原の弓兵も続いた。

長時と長景は浜から退いた後、別の道を通って岬の反対側へ回り込んでいた。

左右から矢が飛び、安宅の船の帆綱を次々と射抜いていく。

「弓兵を狙え!」

安宅方も応射する。

だが船上は揺れている。

対する那須勢は、岩場と木陰に身を隠していた。

しかも那須たちは、兵が並ぶ甲板を狙っていない。

小さな綱だけを射ている。

安宅方にとっては、信じがたい射撃だった。

人より細い綱。

風と波で常に揺れる帆。

それを遠間から次々と射抜いていく。

「近づけ!」

「岬へ船を寄せろ!」

船頭が舵を切ろうとする。

だが帆が片側へ垂れた船は思うように曲がらない。

別の船とぶつかりそうになり、慌てて櫂を入れる。

船団の陣形が崩れ始めた。

上陸用の小舟も、母船の混乱に巻き込まれて進めない。

浜を目前にしながら、兵を降ろせない。

水軍にとって、これほど屈辱的なことはなかった。

船は沈んでいない。

敵兵に乗り込まれたわけでもない。

それなのに、自分たちの船を思うように動かせない。

安宅方の大将は歯を食いしばった。

「帆を下ろせ!」

「櫂で進め!」

命令が飛ぶ。

帆を失っても、安宅の船は動く。

船員たちは櫂を握り、一斉に水を掻いた。

中央の数艘が再び浜へ進み始める。

「まだ来るか。」

小笠原長景が呟いた。

その声には驚きと、わずかな敬意があった。

安宅勢は海で生きてきた者たちである。

帆を射られただけで退くほど弱くはない。

那須も、それは承知していた。

「ならば次だ。」

那須は岬の下を指した。

岩陰から数艘の小舟が姿を現した。

乗っているのは漁師たちだった。

川之江の海を知り尽くした者たちである。

ただし武装はしていない。

船には長い縄と、浮きをつけた網が積まれていた。

漁師たちは安宅船へ向かわない。

その進路へ先回りし、海へ網を流し始めた。

「網だ!」

安宅方の船頭が叫ぶ。

櫂で進む船の前に、大きな網が広がる。

そのまま進めば櫂に絡む。

舵にも絡む。

無理に切れば時間がかかり、その間に那須の矢を受け続ける。

「止まれ!」

安宅の船が次々と速度を落とした。

帆を失い、櫂の前には網。

だが船体には傷一つない。

兵もほとんど討たれていない。

安宅方の将たちは、ようやく那須の意図を悟った。

那須は船を沈める気がない。

船を奪うつもりもない。

自分たちが誇る操船だけを、陸から封じている。

旗船の上で、大将が岬を睨んだ。

那須はまだ弓を構えている。

その矢先が、こちらへ向いていた。

大将自身を狙っているように見えた。

周囲の兵が盾を寄せる。

「お下がりくだされ!」

「那須が殿を狙っております!」

大将も身構えた。

那須が弓を引く。

強く。

ゆっくりと。

矢が放たれた。

船上の者たちが息を呑む。

だが矢は大将の身体へは向かわなかった。

その頭上。

旗船の最も高い場所に掲げられていた安宅の軍旗。

矢は旗の上端を留める縄を断った。

風を受けていた旗が外れ、海へ落ちる。

赤黒い旗布が波間へ広がった。

まるで扇のように。

船上は静まり返った。

那須は二の矢を取らなかった。

弓を下ろし、波間に浮かぶ旗を見つめている。

それだけだった。

「……海上の扇か。」

安宅方の大将が呟いた。

十河は大旗を射落とされた。

香川は進軍旗を折られた。

そして安宅は、船を沈められることなく、波間へ旗を落とされた。

殺すこともできた。

船を焼くこともできた。

網で動きを止めた後なら、火矢を浴びせることもできただろう。

だが那須はしなかった。

自分たちの命も、船も、帰る海も残した。

代わりに、安宅水軍ならば那須を破れるという自負だけを射抜いた。

大将はしばらく海へ落ちた旗を見ていた。

やがて低い声で命じた。

「旗を拾え。」

「帆綱を直し、沖へ退く。」

側の将が振り返る。

「まだ兵は上げられます。」

「櫂も生きております。」

「続ければ浜へ――」

「上がってどうする。」

大将は静かに遮った。

「浜を取ったところで、帰りの船をまた止められる。」

「今度も帆を射るとは限らぬ。」

その言葉に、誰も続けられなかった。

那須は今、兵を射たなかった。

だが次も射ないという保証はない。

命を助けられた。

その事実が、船上の者たちの胸へ重くのしかかった。

「退くぞ。」

安宅の船団は、ゆっくりと沖へ向きを変えた。

那須勢は追わない。

漁師たちも網を引き上げ、道を空ける。

傷ついた帆を張り直し、安宅の船は一艘ずつ海へ戻っていった。

戦いの後、浜へ一人の安宅兵が残されていた。

上陸用の小舟から転落し、泳ぎ着いた若者である。

那須の兵に囲まれた時、男は死を覚悟して短刀へ手を伸ばした。

しかし大久保忠佐がその手を止めた。

「やめておけ。」

「捕虜にするつもりか。」

「いや。船が戻るまで休め。」

若者は信じられないという顔をした。

忠佐は水筒を投げ渡す。

「飲め。」

「毒など入っておらぬ。」

若者はしばらく動かなかったが、やがて水を飲んだ。

冷たい水が喉を通る。

目の前の敵は、自分を殺そうとしない。

沖では仲間の船が帆を直している。

「あれを沈めぬのか。」

若者が尋ねた。

忠佐は肩をすくめた。

「殿が沈めるなと仰せだ。」

「なぜだ。」

「また来てもらうためだそうだ。」

若者の手が止まった。

忠佐は苦笑する。

「私にも初めは分からなかった。」

「今もすべて分かっておるわけではない。」

「だが、お主らはまた来るのか。」

若者は答えられなかった。

これまでなら、迷わず来ると言った。

安宅の海を侮った者へ、必ず思い知らせると答えた。

だが今は違う。

船を沈められずに敗れた。

兵を殺されずに退かされた。

旗を拾うことまで許された。

次に来れば何を射られるのか。

帆か。

旗か。

それとも、今度こそ人か。

やがて沖から小舟が戻ってきた。

那須の兵は若者を縛らず、そのまま船へ乗せた。

忠佐は背を向ける若者へ声をかける。

「傷を治しておけ。」

若者が振り返る。

「また戦うためか。」

「違う。」

忠佐は少し考えた後、那須から聞いた言葉をそのまま口にした。

「次は、戦わずに済むかもしれぬからだ。」

夕刻。

十河、香川、安宅の三家は、それぞれの陣に戻っていた。

三つの陣火は並んでいる。

だが、互いの距離は昨日よりも遠く感じられた。

十河は正面から敗れた。

香川は策を読まれて敗れた。

安宅は海の上で敗れた。

誰も将を失ってはいない。

兵の損害も、決して大きくない。

だからこそ、敗北の理由を他人へ押しつけることができなかった。

十河の陣では、返された旗が畳まれている。

香川の陣では、折れた進軍旗が置かれている。

安宅の旗船では、海水を吸った軍旗が乾かされている。

三家の将たちは、それぞれ違う場所で同じことを考えていた。

次ならば勝てる。

そう言い切れる策が、もう浮かばない。

兵たちの間でも、那須の名が囁かれ始めていた。

遠矢の名手。

旗を射る将。

殺さずに勝つ男。

そして、望めばいつでも人を射られる男。

恐れは、死者の数から生まれるとは限らない。

殺されなかった者の胸にも、深く根を張る。

川之江城では、三度目の勝利を祝う宴は開かれなかった。

那須は傷ついた兵を見舞い、浜へ出た漁師たちへ礼を述べ、壊れた網を買い取るよう命じた。

最後に城の櫓へ上がる。

大久保兄弟と小笠原父子も後に続いた。

沖には安宅の船団が見える。

逃げ去ったわけではない。

まだ遠くに錨を下ろし、こちらを窺っている。

十河と香川の陣も残っていた。

忠佐が尋ねた。

「三家とも退きませぬな。」

「退けぬのだ。」

那須は答えた。

「これだけでは、国へ帰れぬ。」

長時が静かに言う。

「三家とも、まだ面目を求めております。」

「そうだ。」

「では、また攻めてくる。」

長景の言葉に、那須は頷いた。

三つの誇りを一度ずつ射た。

しかし、一度の敗北では武士は折れない。

十河は次には香川と合わせようとするだろう。

香川は安宅の船を使おうとする。

安宅も、陸の二家と連携すれば違うと考える。

今度こそ三家は、自分たちの違いを捨て、一つの軍になろうとするかもしれない。

それは陶が望んだ流れでもあった。

別々に敗れた者たちが、最後には力を合わせて挑む。

その全力をなお退けてこそ、彼らは初めて戦う道そのものを疑う。

「ここからが難しい。」

那須は呟いた。

大久保忠世が隣へ立つ。

「不安がおありですか。」

「ある。」

那須は率直に答えた。

「三家を殺さず勝つことはできた。」

「だが次は、三家が一つになる。」

「一つになった敵を逃がすには、こちらも今まで以上に深く受けねばならぬ。」

一歩誤れば、川之江が破られる。

敵を生かすことへ執着し、自軍や民を危険にさらせば、それは将の驕りでしかない。

那須は弓を見下ろした。

三度、狙ったものを射た。

だが次も同じように射られるとは限らない。

祖・余市の名を継ぐ。

口にするのは容易い。

その名に相応しい一矢を、必要な時に必ず放つ。

それは重い。

那須の心を見透かしたように、小笠原長時が言った。

「殿。」

「弓は一人で引くものですが、戦は一人でなさるものではありませぬ。」

那須が顔を上げる。

長時は息子と、大久保兄弟を見渡した。

「次は我らも、那須家の弦となりましょう。」

「殿が矢を放てるよう、我らが弓を支えます。」

忠世も頷く。

「我らは佐野殿に勧められ、ここへ参りました。」

「まだ仕えて日の浅い身ではございますが、三度の戦で十分に分かりました。」

「この戦、最後までお供いたします。」

忠佐が笑った。

「私は次も追いかけぬよう、兄者に足を縛ってもらいまする。」

「自分で縛れ。」

長景も頬の傷に触れながら言った。

「次は負けるふりではなく、正面から弓を引かせていただきたいものです。」

那須は四人の顔を見た。

摂津で行き場を失い、浪人として集まった者たち。

佐野と本願寺が結んだ縁で、四国へ渡ってきた。

まだ那須家の暮らしにも、土地にも慣れていない。

それでも彼らは、すでに同じ戦を背負おうとしている。

那須は静かに頭を下げた。

「頼む。」

短い言葉だった。

だが四人は、それで十分だった。

春の夕日が瀬戸内へ沈み始める。

海は赤く染まり、安宅の帆が遠く黒い影となって浮かんでいる。

那須は三家の陣を見渡した。

「次は、三つが一つになる。」

弓を握る。

「ならば我らも、一つとなって迎えよう。」

海上の扇は落ちた。

だが川之江の戦は、ようやく最初の節目を越えたにすぎなかった。

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