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雪解けの川之江

雪が消えた。


伊予の山々を覆っていた白は日に日に薄れ、谷を流れる雪解け水は勢いを増して瀬戸内へ注いでいく。


川之江にも春が訪れていた。


海は穏やかで、沖には漁へ出る小舟が幾筋もの白波を描く。


だが、その静かな景色とは裏腹に、町には張り詰めた空気が漂っていた。


土佐より長宗我部が動く。


その報せは日に日に確かなものとなり、街道を行き交う旅人も商人も、皆どこか落ち着きを失っていた。


川之江城の櫓から海を眺める一人の武将がいた。


那須資忠である。


春風が陣羽織を揺らす。


彼は黙って讃岐の方角を見つめていた。


「……始まるか。」


独り言のように呟く。


その目に焦りはない。


だが、決して楽観もしていなかった。


敵は十河、香川、安宅。


そしてその背後には四国統一を目指す長宗我部元親がいる。


いずれも武勇に優れた武将ばかりである。


しかも今回の役目は敵を滅ぼすことではない。


勝ち続けること。


そして生かして帰すこと。


武将として最も難しい命であった。


陶晴賢から授かった『折鷹の策』。


敵を討てば終わる戦ではない。


敵に何度も挑ませ、そのたびに敗北を刻み込み、最後には自ら剣を置かせる。


心を折る戦である。


「……私にできるだろうか。」


ふと、本音が漏れた。


那須は弓を手に取る。


那須家に代々伝わる長弓。


幼い頃から何万本と射続けた相棒である。


脳裏に浮かぶのは祖・那須余市の姿。


屋島で扇を射抜いたあの一矢。


「あの方は、人を射たのではない。」


「平家の心を射た。」


その言葉は幼い頃から父に何度も聞かされてきた。


だからこそ今なら分かる。


余市の一矢とは武勇ではない。


戦を終わらせるための一矢だったのだ。


その時である。


城下から法螺貝が鳴り響いた。


「船影!」


「船影が見えます!」


那須は櫓から身を乗り出す。


瀬戸内の彼方より数隻の船が川之江へ近づいてくる。


敵ではない。


船首には本願寺の旗。


そして見慣れぬ若武者たちの姿があった。


やがて港へ船が着く。


先頭に立った武将が深々と頭を下げた。


「大久保忠世。」


「弟・忠佐とともに参りました。」


続いて壮年の武将が一歩前へ出る。


「小笠原長時。」


「子とともに那須殿へお仕えいたします。」


那須は港へ歩み寄る。


「遠路、ご苦労であった。」


「佐野殿と本願寺より話は聞いております。」


大久保は笑った。


「摂津で浪人をしておりましたところ、佐野殿が仰せられました。」


『軍を預けるなら那須資忠だ。』


「その言葉を信じ、参りました。」


那須は照れたように笑う。


「佐野殿は人を買いかぶる癖があります。」


「ですが。」


そう言って弓を握る。


「来てくださった以上、必ず生きて帰してみせましょう。」


その言葉に、大久保も小笠原も静かに頷いた。


その日の夕暮れ。


土佐方面の街道に幾筋もの土煙が上がる。


物見が息を切らして駆け込んだ。


「申し上げます!」


「十河、香川、安宅。」


「三家の旗が見えました!」


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