恋瀬川橋城と新軍制
小貝川の初陣から三日後、小田城では重臣を集めた大評定が開かれていた。
十一歳の当主、小田氏治は上座に座ると、ゆっくりと家臣たちを見渡した。
「小貝川は守り切った。しかし、佐竹は同じ失敗は繰り返さぬ。」
地図の上には小貝川と恋瀬川、そして霞ヶ浦へ至る川筋が描かれている。
「敵は次、恋瀬川を選ぶ。」
氏治は恋瀬川の渡河点へ指を置いた。
「ならば渡河点そのものを城に変える。」
家臣たちは顔を見合わせた。
「橋を築くのではない。」
「城を築くのでもない。」
「橋であり、城であり、関であり、堰でもある要塞を築く。」
静まり返る評定の間で、最初に口を開いたのはモンケだった。
「面白い。」
彼は墨を取り、橋脚を石積みとし、その上へ櫓門を置いた構造を書き始める。
陳猛哲はその横へ水門を書き加えた。
「福建では港を守るために水門を用いる。水位を操れば敵の渡河も妨げられる。」
シャム傭兵団の隊長は川筋を書き込み、舟運を妨げない流路を提案する。
「平時は商船が通り、戦時は軍船が使える。」
フェルディナンド率いるフィリピン傭兵団は橋の両端へ砲座と鉄砲陣地を書き加えた。
「敵は橋へ集まり、我らは四方から撃つ。」
最後に宍戸政繁が恋瀬川の流れを修正した。
「この地盤は固く橋脚向き。この中州は増水で沈みます。川を堀へ引き込み、水が巡るよう掘り直しましょう。」
治彦は皆の意見をまとめ、一枚の設計図へ仕上げる。
氏治はその図を見て頷いた。
「二か月で戦える橋城を築く。」
「石垣も天守も後でよい。」
「まずは敵を止める。」
こうして恋瀬川橋城第一期工事が始まった。
工事の総指揮はモンケ、治水は宍戸、港湾・水門は陳猛哲、河川工事はシャム傭兵団、防御設備はフィリピン傭兵団が担当することとなった。
◇ ◇ ◇
続いて氏治は軍制改革を告げた。
「真壁。」
「はっ。」
「お前は今日より親衛を解かれる。」
真壁は黙って頭を下げる。
「槍隊を率いる一軍の将となれ。」
「ただし、勝負どころでは余の懐刀として召し出す。」
「御意。」
真壁は深く一礼した。
氏治は宍戸へ向き直る。
「工兵、楯兵、鉄砲兵をまとめて歩兵隊とする。」
「お前が率いよ。」
宍戸は驚きながらも静かに頭を下げた。
「築城する者こそ、歩兵を最も理解しております。」
「頼む。」
氏治は頷いた。
「余は坂東筒隊を直率する。」
新たな兵器は将自らが使い、その戦い方を兵へ示す。
それが氏治の考えだった。
最後に鹿島政道が前へ出る。
「鹿島隊は、本日をもって解体する。」
場がどよめく。
「今後は余直属の見聞衆とする。」
索敵。
撹乱。
伝令。
情報収集。
坂東中の海、川、街道、商人、漁師、船頭までもが、その情報網となる。
「政道。」
「はっ。」
「お前は余の側近だ。」
「小田にも屋敷を用意する。鹿島と小田、土浦を往復し、得た情報は真っ先に余へ届けよ。」
鹿島は深く平伏した。
「ありがたき幸せ。」
「この身、殿の目となり耳となりましょう。」
評定が終わる頃、小田軍はかつての寄せ集めではなく、それぞれが明確な役割を持つ軍へと生まれ変わっていた。
真壁は決戦を断つ刃。
宍戸は軍を支える盾と城。
鹿島は坂東を巡る目と耳。
そして氏治は、新兵器を率いて最前線へ立つ将。
恋瀬川橋城の建設と新軍制の発足は、小田家が守勢の国衆から、坂東を主導する勢力へ歩み始めたことを示す第一歩となったのである。




