早春、四国動く
二月の終わり。
四国には、坂東より一足早い春が訪れていた。
山々の雪は溶け始め、野には若草が芽吹き、川は冬の静けさを破って勢いを取り戻す。
まるでその春に呼応するかのように、四国中の軍勢が一斉に動き始めた。
土佐では長宗我部元親が総動員を命じる。
岡豊を発した軍勢は各地で合流し、伊予国境へ向けて進軍を開始した。
旗の数は日に日に増え、物資も絶えることなく運び込まれていく。
その様子を物見が久万城へ報せる。
「申し上げます! 長宗我部勢、本格的に伊予攻略へ動きました!」
陶晴賢は報告を聞いても眉一つ動かさなかった。
「予定通りだ。」
物見はさらに続ける。
「敵は大軍にございます。しかし……。」
「しかし、何だ。」
「進軍は慎重そのもの。山道ごとに斥候を放ち、一里ごとに陣を整え、決して無理に前へは出てまいりませぬ。」
本多正信が小さく笑う。
「元親らしい。」
陶も静かに頷いた。
「正月に久万城を見て回ったからだ。」
「あの男は、この城が見かけ倒しではないことを知っている。」
空堀。
幾重もの土塁。
折れ曲がる虎口。
山肌を利用した縄張り。
兵糧蔵と見張り台。
豪華さこそないが、攻め手の命を削り取るためだけに築かれた山城。
元親はそのすべてを自らの目で見ていた。
ゆえに兵力で押し潰すような真似はしない。
慎重に斥候を進め、補給路を固め、一歩ずつ久万へ迫ってくる。
陶は地図を見つめたまま口を開いた。
「よい。」
「元親には、そのまま久万へ来てもらおう。」
「ここで時を稼ぐ。」
その頃――。
川之江では那須資忠が静かに出陣の支度を整えていた。
「いよいよ始まりますな。」
家臣の言葉に、那須は兜を手に取る。
「久万では陶殿が元親を止める。」
「ならば、こちらも役目を果たすだけだ。」
その視線は讃岐の方角へ向けられていた。
そこには十河、香川、安宅の軍勢が動き始めているとの報が、すでに届いていた。
久万では大軍を相手に時を稼ぎ、
川之江では敵将の心を折る。
四国を二つの戦場へ分けた**「折鷹の策」**は、いま静かにその幕を開けようとしていた。




