久万城の宴 ― 折鷹の策
正月を迎えた今治城は、新たな年の始まりとともに、四国の命運を左右する軍議の場となっていた。
軍議を終え、人払いを済ませると、岩成友通は静かに那須資忠を一室へ招いた。
障子の外では瀬戸の穏やかな波音が聞こえる。
岩成は無言で腰の小太刀を解き、両手で捧げるように那須の前へ置いた。
「那須殿、お受け取りください。」
那須は目を細める。
「これは……。」
「三好に仕えていた頃より、常に腰に差していた小太刀にございます。」
岩成はゆっくりと息を吐いた。
「この刀と共に私は幾度も戦い、多くの血を見てまいりました。三好三人衆の一人として、この刀は私そのものでもありました。」
しばらく沈黙した後、岩成は深々と頭を下げる。
「しかし、その岩成友通はもうここにはおりません。」
「私は心を入れ替えました。」
「過去は消えませぬ。罪もまた消えませぬ。されど残された命は、新たな主君と、新たな国のために使いたいと存じます。」
「どうか、この小太刀をお納めください。これは私が過去と決別した証にございます。」
那須はすぐには手を伸ばさなかった。
岩成の覚悟を見極めるように静かに見つめる。
やがて小太刀を手に取り、鞘を払う。
年季の入った刃には無数の細かな傷が残り、幾多の戦を潜り抜けたことを物語っていた。
那須は静かに刃を納める。
「確かに預かった。」
「これはお主の過去を捨てるためではない。」
「二度とその過去へ戻らぬよう、私が預かる。」
岩成は静かに目を伏せた。
「ありがとうございます。」
那須は穏やかな声で続ける。
「これからは剣ではなく、知恵で国を支えてくれ。」
「河野殿と共に今治を守り、兵糧と人を前線へ送り続ける。それがお主にしかできぬ戦だ。」
「承知いたしました。」
岩成は力強く頭を下げた。
こうして岩成友通は今治に留まり、河野家との折衝と兵站を一手に担うこととなった。
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一方その頃、久万高原では巨大な祭壇が築かれていた。
完成したばかりの久万城の地鎮祭である。
諏訪・気比・住吉・河野ゆかりの神々へ供物が並び、僧侶や神官が祈祷を捧げる。
祭りは三日に及び、山中とは思えぬほど豪華であった。
各地から商人が集まり、酒樽が積まれ、猪や鹿、川魚が振る舞われる。
山伏が法螺貝を響かせ、舞や能が披露され、武芸や流鏑馬まで催された。
陶晴賢はあえて盛大に執り行わせた。
そして最も驚かせたのは、その招待客であった。
長宗我部元親。
十河。
香川。
安宅。
四国の有力者へ等しく招状を送り、新年の祝いとして久万城へ招いたのである。
警戒しながらも、彼らは祝いの席には応じた。
宴が終わると、陶は笑みを浮かべた。
「せっかく参られたのだ。新しい城をご覧になられよ。」
陶自ら先頭に立ち、一行を案内する。
深い空堀。
幾重にも巡らされた土塁。
山肌に沿って折れ曲がる道。
逆茂木と柵。
高所へ続く細い虎口。
簡素ながら堅牢な兵糧蔵と見張り台。
華美な天守も石垣もない。
だが誰の目にも、この城が落とし難い山城であることは明らかだった。
長宗我部は何も言わず縄張りを見回る。
十河は腕を組み、香川は堀の深さを測るように覗き込み、安宅は物資の搬入路へ視線を向けた。
陶は満足そうに微笑んだ。
「粗末な城でござろう。」
誰も答えない。
陶はさらに続けた。
「されど私は、この城を四国の新たな拠点と定めました。」
「もし攻められるのであれば、いつでもお相手いたしましょう。」
その言葉に長宗我部元親だけが小さく笑った。
「……なるほど。」
「面白い城だ。」
その笑みを見た陶もまた静かに笑みを返した。
この豪華な祭りも、この城の披露も、すべては陶晴賢が仕掛けた一つの策であった。
久万城を四国中の目標とし、敵の視線を山中へ集める。
その間に、那須は川之江で十河・香川・安宅の戦意を削り、本多は土佐方面から長宗我部を揺さぶる。
後方では岩成が今治の兵站を支える。
後にこの一連の策は、那須家中において**「折鷹の策」**と呼ばれることになる。




