中村御所を縛る
梅雨が訪れても、那須資忠と本多正信は攻勢の手を緩めなかった。
雨に濡れた山道を越え、増水の引いた川を渡り、中村御所の周囲へ現れては陣を張る。
ある日は兵糧道を断ち、ある日は見張り砦を襲い、またある日は夜陰に乗じて柵を築く。
総攻撃こそ行わない。
しかし、いつ本格的な攻城戦が始まるか分からないという緊張を、長宗我部軍へ与え続けた。
梅雨から夏にかけて、那須と本多は一貫して中村御所への圧力を維持し続けた。
一方、その頃の四国では、讃岐・阿波方面でも戦況が動いていた。
旧三好勢が各地で反攻を開始し、長宗我部方の支城や国人衆へ攻勢を強めていたのである。
長宗我部元親は、中村御所だけでなく讃岐・阿波方面にも兵を送らねばならず、各方面への対応に追われることとなった。
そのため、中村御所周辺では大規模な野戦は起こらなかった。
長宗我部軍は守備兵を置きながらも、散発的に現れる那須・本多隊を迎え撃つためだけに主力を割く余裕はなかったのである。
本多は軍議で静かに笑った。
「敵は我らを追えませぬ。」
那須も頷く。
「追えば讃岐が崩れ、讃岐を守れば中村が揺らぐ。」
「これでよい。」
彼らの狙いは城一つではなかった。
四国全体に長宗我部軍を分散させ、主導権を握らせないこと。
中村御所を巡る戦いは、城を奪うためではなく、敵の兵を縛り続けるための戦となり、梅雨から盛夏にかけてその圧力は絶えることなく続いた。




