陶晴賢、氏治に書状を書く
永禄八年晩秋
小田左京大夫氏治様
謹んで申し上げます。
このたび那須殿、本多殿とともに四国を巡り、阿波、土佐、伊予の情勢をつぶさに見聞いたしました。
長宗我部はなお勢いを増しておりますが、その内情や諸国の様子につきましては、帰参の後、改めてご報告申し上げます。
さて、一つお願いがございます。
新年には氏治様並びに佐野殿のお使者として、中国の毛利家へ年始のご挨拶へ向かわれる由、承りました。
もしお許しいただけますなら、その使節の一員として、私も加えていただきたく存じます。
毛利とはかつて敵味方として幾度も相対し、互いによく知る間柄にございます。
亡き者とされた私が、あえて過去を隠さず挨拶へ赴くことは、坂東と毛利の間にわだかまりなきことを示す一助ともなりましょう。
また、使節には坂東より真壁殿、大掾殿をはじめとする重臣方にもご同行いただき、佐野殿とともに堂々たる使節団を編成されることを願っております。
畿内・四国・中国の安定には、互いに顔を合わせ、言葉を交わすことが何より肝要と考えます。
ご裁可いただけましたなら幸いに存じます。
陶晴賢
その後、氏治はこの願いを快諾した。
新年を迎えると、坂東から真壁幹久、大掾幹康ら重臣が瀬戸内へ下り、摂津からは佐野昌綱も合流する。
さらに陶晴賢も使節へ加わり、坂東・摂津・四国の代表者たちは、年始の賀礼を携えて海路西へ進み、毛利家への新年の挨拶へ向かうこととなった。




