窺虎の計 ―― 土佐への道
峠を越えると、空気が変わった。
山の匂いは変わらぬが、人の気配が違う。
道はよく踏み固められ、荷を背負った百姓や塩を運ぶ馬子が絶えず行き交っていた。
那須資忠は周囲を見回し、小声で言う。
「思ったより人が多いな。」
本多正信は何事もないように杖をつきながら答えた。
「道が生きています。」
「人も物も動いている国は、それだけで力があります。」
陶晴賢は静かに頷いた。
「長宗我部は戦だけではない。」
「街道にも手を入れておる。」
三人は遍路として寺へ参り、そのまま門前町へ下りた。
昼時になると、小さな茶屋から香ばしい焼き魚の匂いが漂ってくる。
店の老婆が笑顔で迎えた。
「お遍路さんかい。」
「今日は鮎がよう捕れたき、食べていきな。」
那須は嬉しそうに頷いた。
「では、一ついただこう。」
焼きたての鮎を頬張ると、思わず顔がほころぶ。
「これはうまい。」
陶も苦笑する。
「敵国へ来て最初の感想がそれか。」
「腹が減っては戦もできぬ。」
那須が笑うと、店の客たちもつられて笑った。
やがて話題は自然と領主へ移る。
「長宗我部様は働き者じゃ。」
「この頃は道もようなった。」
「兵もよく見回っとるき、盗賊も減った。」
別の男が口を挟む。
「じゃが戦が多いけん、若い衆は皆兵に取られる。」
「うちの倅も去年から帰ってこん。」
正信は何気なく相槌を打ちながら耳を傾ける。
「それほど兵を集めておられるのですか。」
「そりゃそうじゃ。」
「西も東も気が抜けんきの。」
老人は酒を飲み干し、笑った。
「けんど元親様は強い。」
「負ける気はせん。」
店を出ると、正信が静かに口を開いた。
「兵は集まっております。」
「ですが、その分だけ農村には負担が出ています。」
陶は頷く。
「勝っている国ほど、疲れは見えにくい。」
「そこを見るのがお前の役目か。」
正信は笑みを浮かべた。
「ええ。」
「城は誰でも見ます。」
「私は台所を見ます。」
その日の夕刻。
三人は高台から一つの城を見下ろしていた。
谷を見渡す位置に築かれた山城。
物見櫓では兵が交代で見張りを続け、麓には新しい柵も増設されている。
那須は目を細める。
「あれが……。」
陶晴賢は頷いた。
「長宗我部の支城だ。」
「派手ではない。」
「だが実によく考えられている。」
正信は城ではなく、その周囲へ目を向けていた。
「城下に鍛冶屋が二軒。」
「米蔵は三つ。」
「川沿いに舟着き場もあります。」
「戦になれば、この城だけで周囲を支えられるでしょう。」
那須は苦笑した。
「私は城しか見ていなかった。」
「お前は国を見ている。」
正信は静かに頭を下げる。
「戦は城で勝ちます。」
「ですが、国は城だけでは動きません。」
夕陽が土佐の山々を赤く染める。
三人は言葉少なにその景色を眺めた。
彼らの旅はまだ終わらない。
その先には、長宗我部元親の本拠――岡豊城が待っていた。




