小貝川防衛戦 初陣の帰還
永禄五年二月一日。
佐竹領より侵攻の急報が小田城へ届く。
数え十一歳で家督を継いだばかりの小田氏治は、平服のまま城を飛び出した。
「鎧は後からでよい。まず小貝川を押さえる。」
真壁と治彦だけを伴い、北へ馬を走らせる。
物見によれば、佐竹軍の到着までは二日ほどある。
氏治は川筋を一望すると、迷うことなく命を下した。
「この二日で、小貝川を城に変える。」
逆茂木が並び、土塁が築かれ、射撃陣地が整えられる。
工兵は宍戸家に任せ、兵站は大掾家に一任した。
真壁には槍隊を預け、自らは鉄砲隊を率いる。
一方、文官である治彦には戦列へ立つことを禁じた。
「治彦、お前は記録せよ。」
「この戦を、後の世へ残すのだ。」
氏治は宇都宮、結城、小山へ書状を送る。
そこには援軍を命じる言葉ではなく、
「友よ、共に戦おう。」
ただ、その一文が認められていた。
整備された街道と水路を駆けた急使に応え、その日の夜には大掾、宍戸、鹿島、結城、小山、宇都宮の諸将が小貝川へ集結する。
軍議で氏治は静かに語った。
「今は二月。」
「春を前に長期戦はできぬ。」
「父が病床にあることを知った佐竹は、小田家の様子を探りに来たのだ。」
「我らが結束していることを示せば、それで十分。」
青鬼・は豪快に笑った。
「若殿ではない。すでに大将よ。」
翌二日、佐竹軍は小貝川北岸へ到着する。
しかし小貝川は渡河点が限られた天然の要害であった。
氏治の築いた陣地を前に、佐竹軍は北岸へ陣を敷くだけで動けない。
宇都宮・結城の騎馬隊は偵察を繰り返し、小田軍も守りを固めた。
この日は一矢も交えぬまま終わる。
三日目未明。
朝霧に紛れ、佐竹軍は小舟と徒渡りで渡河を試みた。
氏治は鉄砲隊へ命じる。
「撃ち過ぎるな。」
「牽制で十分だ。」
乾いた銃声が霧を裂き、敵は川中で足を止める。
さらに佐竹軍は少数の分隊を東西へ送り、別の渡河点を探し始めた。
氏治は結城隊へ命じる。
「追跡せよ。」
「戦うな。渡河点を見つけさせるな。」
結城の騎馬は姿を現しては消え、敵を絶えず動かし続けた。
四日目。
佐竹軍はさらに兵を分け、各地で渡河を試みる。
宇都宮・結城の騎馬武者は弓で応戦し、渡河を阻止した。
正面では佐竹本隊が散発的に川を渡ろうとするたび、氏治率いる鉄砲隊がこれを撃退する。
槍隊は最後まで土塁を離れず、小田軍は守勢を崩さなかった。
夜になると、結城隊から急報が届く。
「敵本隊、分隊と合流し、新たな渡河点へ向かっています。」
その矢先、冷たい雨が降り始めた。
一夜で小貝川は増水し、渡河はさらに困難となる。
宇都宮尚綱からも知らせが届く。
「佐竹は退くであろう。」
氏治は静かに頷いた。
「目的は果たした。」
「我らの結束を見て、退くのだ。」
翌朝。
物見は佐竹軍の退却を確認する。
しかし氏治は油断しなかった。
「結城殿、宇都宮殿。」
「敵を国境まで追跡してください。ただし佐竹領へは入らぬよう。」
「宍戸殿は渡河点の警戒を継続。」
「大掾殿は宍戸殿の陣へ合流し、兵站を支えてください。」
「小山殿、鹿島殿は東西の索敵。」
「小田勢は結城・宇都宮方面を支援し、反転攻勢に備えます。」
諸将は命を受け、それぞれ持ち場へ散った。
その日の夕刻。
結城、宇都宮の両軍から相次いで報せが届く。
「佐竹勢、国境を越えて帰還。」
「追撃の必要なし。」
氏治はようやく軍旗「雷霞一撃」を見上げた。
「戦は終わった。」
数日にわたる小貝川防衛戦は、敵に渡河を許すことなく幕を閉じた。
やがて宍戸隊も警戒を終え、大掾隊とともに陣を畳む。
各隊は整然と撤収し、小貝川に築かれた土塁や柵だけが、戦いの跡を静かに残していた。
氏治は最後に川を振り返る。
「この川が、小田を守ってくれた。」
真壁は槍を肩に担ぎ、笑った。
「いや、殿の采配です。」
治彦は馬上で筆を置き、記録を閉じる。
『永禄五年二月、小貝川防衛戦。小田軍は諸家と結束し、佐竹軍を渡河させることなく退却させた。これは、氏治公が当主となって最初の勝利である。』
冬空の下、一行はゆっくりと南へ馬を進める。
その先には、小田城が待っていた。
数日後、帰参した諸将は小田城に集まり、今回の戦いを総括する緊急評定が開かれることとなる。




