窺虎の計
永禄八年(1565年)九月 金毘羅の軍議・次なる一手
松永久秀が淡路へ帰ると、金毘羅には静けさが戻った。
那須資忠、陶晴賢、本多正信の三人は、すぐに阿波へ戻ることはせず、安全な金毘羅に一日留まり、今後の方針を話し合うことにした。
台風と戦続きで、三人とも落ち着いて顔を合わせる機会すらなかったのである。
那須が地図を広げる。
「さて、阿波は一段落した。」
「次は長宗我部だ。」
「だが、まだ敵をよく見ていない。」
本多正信も頷いた。
「戦は勝ちましたが、敵の国までは見ておりませぬ。」
「見聞なくして次はありません。」
那須は地図の北を指差す。
「北へ回って伊予へ入り、河野殿に会う道もある。」
「河野殿から土佐の話を聞くのも悪くない。」
すると陶晴賢が首を横に振った。
「いや。」
「その道は私は勧めぬ。」
二人が陶を見る。
「河野とは昔から顔見知りだ。」
「私が生きていると知れれば、伊予だけでなく西国全体へ噂が広がる。」
「それはまだ早い。」
確かに、かつて毛利と雌雄を決した陶晴賢の顔は、西国ではあまりにも知られていた。
陶は地図の南へ指を滑らせる。
「ならば、逆だ。」
「四万十を南下しよう。」
「人目を避けながら土佐へ入り、そのまま長宗我部の本領を見て回る。」
「城、道、港、民、兵。」
「戦う前に敵を知る。」
正信は感心したように頷く。
「敵地視察ですか。」
「危険ではありますが、一番得られるものも大きい。」
那須は腕を組み、しばらく考える。
やがて笑みを浮かべた。
「松永殿なら、この策にも名前を付けたな。」
陶も思わず笑った。
「確かに。」
「久秀なら、もったいぶった名を付けておった。」
那須は正信へ向き直る。
「本多。」
「知恵者のお前なら、何と名付ける。」
正信は少し考え、静かに答えた。
「敵を討つのではなく、敵を知るための旅。」
「ならば――**『窺虎の計』**はいかがでしょう。」
「虎の棲む谷を窺い、その習性を知ってから狩る。」
陶晴賢は満足そうに頷いた。
「悪くない。」
「長宗我部という虎の棲み処を、この目で見てくる。」
那須も力強く頷く。
「よし。」
「次は窺虎の計だ。」
こうして三人は、阿波の安定を見届けたのち、正体を隠して四万十川流域から土佐へ入り、長宗我部の本領を自らの目で探る新たな策を定めた。松永久秀の残した「策に名を与える」という習慣は、静かに三人へと受け継がれていくのであった。




