八月、先鷹の計始動
八月。
夏の日差しが瀬戸内を照らすころ、河内より呼び寄せられていた一条家の軍勢が、次々と讃岐へと渡海した。
白地に一条藤の旗が海風を受け、港には旧三好勢や讃岐の諸将が並ぶ。
一条家当主・一条兼定は兵を前に高らかに告げた。
「長宗我部は国境を越え、阿波・讃岐を脅かし続けている。」
「もはや座して見過ごす時ではない。」
「三好より兵を借り受け、この兼定、自ら先頭に立ち長宗我部を討つ!」
「四国の秩序は我らの手で取り戻すのだ!」
「おおっ!」
兵たちは鬨の声を上げ、一条の旗が一斉に翻る。
その出陣を見送る者たちの中から、一人の武将が静かに進み出た。
松永久秀である。
久秀は深く膝を突き、頭を垂れた。
「一条様。」
兼定が満足げに見下ろす。
「松永か。」
「お主も続くのであろう。」
松永は恭しく答えた。
「ははっ。」
「されど、この戦は一条様の御武名を天下へ示す絶好の機会。」
「我らが前へ出ては、その御戦功を奪うことになりましょう。」
「ゆえに――」
松永はさらに深く頭を下げた。
「この松永久秀、後方より軍を支え、補給と退路を守り、決して御戦果を奪わぬよう従います。どうかご安心くだされ。」
兼定は大きく頷いた。
「うむ!」
「それでよい!」
「余の武威を四国中へ知らしめようぞ!」
周囲の諸将も表向きは感嘆の声を上げた。
「さすがは松永殿。」
「なんと慎み深いことか。」
「一条様も心強かろう。」
その様子を少し離れた場所から見ていた陶晴賢は、袖で口元を隠して小さく笑う。
「……見事だ。」
「相手を気持ちよく先へ進ませ、自らは最も安全で動きやすい場所を取る。」
那須資忠も隣で腕を組む。
「これが『先鷹の計』ですか。」
陶は静かに頷いた。
「そうだ。」
「一条には存分に戦ってもらう。」
「我らは後ろから戦を見極める。」
「勝てばその勢いに乗る。」
「敗れれば救い、恩を売る。」
「どちらに転んでも主導権はこちらだ。」
その頃、一条軍は意気揚々と讃岐を進み始めていた。
長宗我部との決戦を夢見て、槍を林立させ、鬨の声を響かせながら。
その遥か後方。
松永久秀は馬上から進軍を眺め、誰にも聞こえぬほど小さく呟く。
「どうか御武運を。」
「その武運が尽きぬ程度にな。」
そう言うと扇を閉じ、静かに軍を進めた。
一条軍を先頭に、松永軍が後詰として従う――。
陶晴賢が「先鷹の計」と名付けた策は、こうして静かに幕を開けた。




