金毘羅の軍議
金毘羅へ入って二日目の朝。
那須資忠と陶末晴が寺の一室で地図を広げていると、一人の旅僧が静かに姿を現した。
「遅くなったな。」
笠を取った旅僧に、那須は笑みを浮かべる。
「松永殿。」
「淡路より直々に。」
松永久秀は荷を下ろし、二人の向かいへ腰を下ろした。
「佐野殿より、四国のことは任された。」
「ならばまずは、お前たちと方針を決めておかねばならぬ。」
陶も頷く。
「では軍議ですな。」
松永は瀬戸内一帯の地図を広げた。
「まず最初に会う相手は河野ではない。」
その言葉に二人は顔を上げる。
「讃岐に散った旧三好の将どもだ。」
「香川。」
「十河。」
「安宅。」
「この三家は、もはや三好家ではない。」
「それぞれが新たな家を興そうとしておる。」
「されど互いに争うほど愚かでもない。」
「暖簾分けした商家のようなものよ。」
「困れば助け合い、普段はそれぞれ勝手に商いをする。」
松永は笑みを浮かべた。
「まずはこの三人を讃岐へ集める。」
「わしから話を付けよう。」
「佐野殿の名もある。」
「顔くらいは出すだろう。」
那須は頷いた。
「そこで四国の均衡を説くのですね。」
「ああ。」
「四国を長宗我部一色にしてはならぬ。」
「河野も。」
「一条も。」
「旧三好も。」
「皆、生き残ってこそ均衡となる。」
しばし沈黙が流れる。
その時、陶が静かに口を開いた。
「一つ、お聞きいただきたい策があります。」
松永は腕を組んだ。
「申せ。」
「一条殿を、あえて一度表へ立たせるのです。」
「四国の旗頭として。」
「そして、小さく失敗していただく。」
那須は驚いて陶を見た。
陶は冷静に続ける。
「見捨てるわけではありません。」
「失敗したところを河野や我らが支えます。」
「そうすれば一条殿は、自らだけで乱世を治められる器ではないことを悟られる。」
「家臣たちもまた、『支えてこその主君』と理解するでしょう。」
「最初から高く担ぎ上げるより、一段下りたところから歩み始める方が、かえって長く続きます。」
松永は目を閉じ、しばらく考え込んだ。
やがてゆっくり口元を緩める。
「……面白い。」
「だが陶殿。」
「その策、本当に失敗だけで終える気か。」
陶は怪訝そうに眉をひそめた。
「どういう意味です。」
松永は声を立てて笑う。
「おぬしのことだ。」
「失敗に見せかけて、一条殿を始末する策ではあるまいな。」
陶は呆れたように息をついた。
「私は四国をまとめに来たのであって、壊しに来たわけではありません。」
「生きていただかねば意味がありません。」
「ははは!」
松永は腹を抱えて笑った。
「冗談だ、冗談。」
しかし。
那須だけは笑わなかった。
畿内で幾度となく見てきた。
松永久秀も。
陶末晴も。
笑いながら恐ろしい策を本当に実行する男たちである。
那須は苦笑しながら首を振った。
「……お二人の冗談は、冗談に聞こえません。」
その一言に、松永と陶は顔を見合わせる。
そして今度は二人そろって笑い出した。
張り詰めていた金毘羅の空気は、その笑い声とともに少しだけ和らいでいった。




