住吉大社奉納
この場面は、千陽が「平和になったこと」を日常の中で実感する重要な転換点になります。戦乱が終わった四月、佐野は摂津の安寧を神前に報告するため、住吉大社で剣術奉納と相撲大会を催した。
武芸者や力自慢が各地から集まり、境内は祭りのような賑わいを見せる。
一方、佐野は奉納や政務、諸大名との挨拶に追われていた。
千陽は「今日は空蝉殿と回っておいでなさい」と送り出され、空蝉とともに境内を歩く。
屋台では団子を焼く香りが漂い、子どもたちは笑いながら駆け回る。
旅の商人は珍しい品を広げ、力士たちの稽古には歓声が上がる。
千陽は楽しそうに見て回りながら、不思議な違和感を覚えた。
「……あれ。」
気付けば、周囲にはいつものような物々しい警固がない。
御所にいた頃は、外出するたびに近習や護衛が幾重にも囲み、人々も道を空けていた。
奈良でも、京でも、佐野は常に命懸けで自分を守っていた。
だが今は違う。
空蝉がゆっくり歩き、自分も人混みの中を自然に歩いている。
人々は将軍家の姫だからと恐れることもなく、穏やかに会釈を交わしていく。
空蝉はその表情を見て微笑んだ。
「お気付きになられましたかな。」
千陽は静かにうなずく。
「はい……。」
「私は今、普通に歩いています。」
「誰も怯えず、誰も剣を抜かず……。」
「昔は、それが当たり前だと思っていました。」
空蝉は境内を見渡した。
「佐野殿は、剣で敵を倒すためだけに戦ってきたのではありませぬ。」
「こうして、人々が安心して祭りを楽しめる世を取り戻すために戦ってきたのです。」
その言葉に、千陽は遠くで奉納試合を終え、役人たちと話し合う佐野の姿を見つめた。
彼は誰よりも忙しく、祭りを楽しむ暇もない。
それでも、人々の笑顔を見て穏やかに笑っていた。
その姿を見た千陽は胸の奥で思う。
「私は、ずっと守られていたのですね。」
戦乱の只中では気付かなかった。
安心して歩ける日々も、花を眺める時間も、祭りの笑い声も。
それは誰かが命を懸けて守り続けてくれたからこそあるものだった。
千陽は静かに微笑み、佐野の背中を見つめ続けた。
この「四月の気づき」から、五月の気比分社で兄との決別、六月の紫陽花の神前婚礼へと続けると、千陽の心の成長が季節の移ろいとともに自然に描ける構成になります。




