四国への布石
四国への布石
二月、伊丹城。
摂津の政がようやく落ち着きを見せ始めた頃、佐野は重臣たちを広間へ集めた。
畳いっぱいに広げられた四国の絵図を前に、松永久秀が静かに口を開く。
「四国の情勢についてご報告申し上げます。」
広間は静まり返った。
「長宗我部元親は土佐をほぼまとめ、阿波・伊予へも影響を及ぼしております。一方、旧三好勢力はなお健在なれど、かつての勢いはございませぬ。」
松永は一条家の領地を指した。
「そして最も憂うべきは一条家にございます。」
皆の視線が集まる。
「長宗我部の攻勢に耐え切れず、一条家は畿内へ救援を求めております。このままでは国を失いましょう。」
佐野はしばらく地図を見つめていた。
やがて静かに口を開く。
「迎えよう。」
短い一言だった。
「一条殿にはまず河内へ移っていただく。亡命ではない。四国へ帰る日までの保護だ。」
篠原長房が一礼する。
「河内は私がお預かりいたします。」
続いて下間頼廉が前へ進み出た。
「佐野殿、兵を送るのはまだ早うございます。」
「理由は。」
「四国は一条、長宗我部、旧三好、それぞれの思惑が入り乱れております。知らぬ土地へ軍を入れれば、かえって一条家を危うくいたしましょう。」
佐野は頷いた。
「では、まず知る。」
「はい。」
頼廉も頷く。
「内偵にございます。」
その言葉に、佐野は二人の青年へ目を向けた。
鹿島政清。
那須資忠。
兵学館で机を並べ、競い合い、笑い合った学友である。
佐野は思わず笑みを浮かべた。
「お前たち、また別行動だな。」
鹿島が肩をすくめる。
「学生の頃からそうだったろう。」
那須も苦笑した。
「結局、最後は佐野のところへ戻ってくる。」
広間の空気が少し和らぐ。
佐野は鹿島を見る。
「鹿島。」
「おう。」
「お前は堺へ行け。」
鹿島は腕を組んだ。
「宗及殿か。」
「そうだ。今井宗及殿を頼り、坂東商人として四国へ渡れ。茶でも鉄でも布でも構わん。商いを口実に長宗我部へ近づき、元親という男を見てこい。」
鹿島は笑った。
「剣より算盤か。」
「お前なら商人とも渡り合える。」
「違いない。」
鹿島は立ち上がると軽く一礼した。
「じゃあ、ひと足先に堺へ行ってくる。」
続いて佐野は那須へ向き直る。
「那須。」
「なんだ。」
「お前は武将ではない。」
広間が不思議そうな空気に包まれる。
佐野は笑みを浮かべた。
「遍路になれ。」
那須も思わず笑った。
「それは面白い。」
「四国八十八ヶ所を巡れ。阿波より入り、讃岐では屋島へ参れ。与一公ゆかりの地だ。」
那須の表情が引き締まる。
「……先祖の足跡を辿るわけか。」
「寺で僧と語れ。宿で旅人の話を聞け。民の暮らし、兵糧、街道、港、長宗我部への評判、一条家への想い──そのすべてを、この目で見て帰れ。」
那須は深く頭を下げた。
「承知した。」
「しばらくは伊丹で支度を整えろ。供回りは数名でよい。武将ではなく、一人の遍路として四国へ入るのだ。」
「任せろ。」
松永久秀も前へ出る。
「拙者は淡路より海を監視いたします。」
鳴門海峡を指差しながら続けた。
「長宗我部が強くなり過ぎても、三好が滅びてもなりませぬ。どちらか一方が四国を呑み込めば、畿内にも必ず影響が及びます。」
佐野は力強く頷く。
「均衡を守るのだな。」
「左様にございます。」
松永は静かに頭を下げた。
佐野は立ち上がり、四国の絵図を見渡した。
「我らは四国を奪いに行くのではない。」
全員が姿勢を正す。
「一条家を守り、争いの均衡を保つ。そのために鹿島は商人となり、那須は遍路となり、松永は海を守る。」
そして学友二人へ目を向け、少しだけ笑った。
「無事に帰ってこい。また三人で酒を飲もう。」
鹿島は笑いながら拳を握る。
「約束だ。」
那須も静かに頷いた。
「その頃には、四国の話を土産にしてやる。」
三人は兵学館の頃と変わらぬ笑みを交わした。
だが、その別れは新たな戦いの始まりでもあった。




