住吉への小さな旅
正月三日。
政務も一段落した朝、佐野は千陽の住まいを訪れた。
「千陽殿。」
庭を眺めていた千陽が振り返る。
「佐野様。」
「今日は少し付き合っていただけますか。」
「どちらへ?」
「住吉大社です。」
千陽は首を傾げた。
「初詣……でしょうか。」
佐野は笑って首を横に振る。
「いえ。」
「正確には、千陽殿を外へ連れ出したくて参りました。」
その一言に、千陽は少し驚いた表情を浮かべた。
義輝が亡くなって半年。
新しい御所で不自由なく暮らしてはいるものの、外へ出ることはほとんどなかった。
佐野は続ける。
「この国はもう落ち着きました。」
「今日は儀仗抜刀隊を少し連れるだけです。」
「気晴らしになればと思いまして。」
千陽は少し俯いた。
「……私などが出歩いて、ご迷惑では。」
「迷惑などではありません。」
「義輝様から託された妹君です。」
「それに。」
佐野は少し笑う。
「家に籠もっていては、伊丹の美味しいものも、美しい景色も知らぬままになってしまいます。」
思わず千陽も小さく笑った。
「それでは……お供いたします。」
やがて十数名ほどの供だけを伴い、一行は伊丹を発った。
街では人々が正月を楽しみ、市では餅や甘酒が振る舞われ、子どもたちは駆け回っている。
千陽は久しぶりに、そんな光景を静かに眺めた。
誰も泣いていない。
誰も怯えていない。
戦の傷跡は残っていても、人々は前を向いて暮らしていた。
「賑やかですね。」
「はい。」
「ようやく、皆が安心して正月を迎えられました。」
住吉大社へ着くと、佐野は神前で深く頭を下げた。
「昨年、多くの者をお守りくださりありがとうございました。」
「今年もこの国をお見守りください。」
千陽も隣で静かに手を合わせる。
兄のこと。
京のこと。
そして、自分を救ってくれた人々のこと。
心の中で一つ一つ感謝を捧げた。
参拝を終えると、佐野は境内の賑わいへ目を向けた。
「急いで帰る必要もありません。」
「少し歩いてみませんか。」
千陽は境内に並ぶ屋台や、笑い合う親子の姿を見つめる。
その光景を見ているうちに、自然と表情が柔らかくなっていった。
「兄上なら……。」
ふと漏れたその言葉に、佐野は何も返さなかった。
ただ静かに隣を歩く。
千陽もそれ以上は語らない。
けれど、その沈黙は以前のような悲しみだけではなかった。
兄を失った悲しみを抱えながらも、新しい年を、新しい場所で歩き始める。
住吉への小さな旅は、千陽にとって半年ぶりに心から外の景色を眺めた一日となった。




