最後の一刻
夕刻、義輝は三好方の使者を静かに呼び寄せた。
「最後に、一つだけ願いがある。」
使者は深く一礼する。
「何なりと。」
義輝は夕日に染まる二条御所を見渡し、ゆっくりと口を開いた。
「余はこの御所で育ち、この御所で将軍となった。」
「去る前に、あと一刻だけ、この景色を目に焼き付けたい。」
使者はしばらく義輝の顔を見つめると、静かに頭を下げた。
「承知いたしました。一刻の猶予、お約束いたします。」
使者が去ると、御所は再び静寂に包まれた。
義輝は一人、廊を歩く。
柱に触れ、庭を眺め、幼き日の思い出を胸に刻んでいく。
その時、不意に誰かの視線を感じた。
振り返ると、そこには進士晴舎が立っていた。
その顔は涙に濡れ、笑っているのか泣いているのか判別もつかない。
「晴舎……。」
義輝が名を呼ぶと、進士は震える声で笑った。
「上様……もう、お疲れになられたでしょう。」
「黄泉の国へ参りましょう。」
「向こうでは戦もございません。皆で笑い、語らい、穏やかに暮らせるのです。」
義輝は静かに首を振る。
「余は生きる。将軍家を残すためだ。」
しかし進士は、その言葉を受け止めることができなかった。
「違います。」
「すべては今日、この日で終わるはずだったのです。」
「ともに参りましょう。」
笑いながら涙を流し、進士は両手を伸ばして義輝の首を絞めようと襲いかかった。
義輝は咄嗟にその腕を払いのける。
進士は大きくよろめき、部屋の隅へ倒れ込んだ。
その拍子に、自害のため自ら用意していた油壺が倒れ、畳へ油が流れ出す。
さらに倒れた蝋燭がその油へ触れ、小さな炎が一瞬で燃え広がった。
部屋の隅から火の手が上がる。
だが、進士は振り返りもしない。
炎など見えていないかのように、ただ義輝だけを見つめて笑った。
「お気になさらず。」
「最後は義輝様がお亡くなりになったあと、私もお供いたしますゆえ。」
「ほんの少しだけ……辛抱してください。」
炎は柱を伝い、ゆっくりと天井へ燃え移っていく。
それでも進士は一歩、また一歩と義輝へ歩み寄り、その瞳には狂気にも似た安らぎだけが宿っていた。




