生駒山岩窟の悲劇
生駒山岩窟の悲劇
永禄八年(一五六五年)正月。
畿内を襲った深雪は、人々の往来を絶たせる一方で、思わぬ者たちに機会を与えていた。
三好三人衆である。
彼らは勝龍寺城や山崎の守りが固いことを知ると、正面から京へ進むことを避けた。
「雪が我らの足跡を隠す。」
そうして軍勢は摂津から南へ折れ、河内を経て、生駒山地の山道へと姿を消した。
目指すは大和への迂回路。
雪に閉ざされた山中を、三好勢は静かに進んでいった。
しかし、生駒の山々には、すでに多くの人々が暮らしていた。
岩窟を掘り、粗末な堂を建て、念仏を唱えながら暮らす一向宗の門徒たちである。
彼らは戦を避け、修行と開墾の日々を送っていた。
三好軍はその姿を見つけると、兵数を補う好機と考えた。
「門徒ども。」
「三好家のため槍を取れ。」
命令は一方的であった。
だが、門徒たちは動かなかった。
年老いた僧が静かに合掌する。
「我らは争いを避け、この山へ参りました。」
「兵にはなりませぬ。」
三好方の武将は顔をしかめた。
「逆らうか。」
なおも門徒たちは首を横に振る。
その瞬間、怒号が山に響いた。
「斬れ!」
兵たちは岩窟へなだれ込み、抵抗しない門徒にまで刃を向けた。
堂は焼かれ、岩窟は血に染まり、逃げ惑う老若男女が雪原へ倒れていく。
白い雪は、瞬く間に赤く染まった。
後に人々は、この惨劇を――
「生駒山岩窟の悲劇」
と呼ぶようになる。
しかし、すべての者が命を落としたわけではなかった。
夜陰に紛れて山道を抜けた門徒たちは、大和へ逃れた。
彼らを率いていたのは、一人の若き門徒であった。
名を、本多正信。
武にも政にも優れながら、今は門徒たちのまとめ役として人々を導いていた。
正信は傷ついた者を励ましながら、ようやく筒井順慶のもとへたどり着く。
順慶は門徒たちの姿を見ると、立ち上がった。
「何があった。」
正信は深く頭を下げる。
「三好勢にございます。」
「兵となるよう命じられました。」
「門徒たちが拒むと……岩窟ごと焼き払われました。」
部屋は静まり返った。
その場に居合わせた佐野昌綱は拳を握り締める。
空蝉は静かに目を閉じた。
順慶はしばらく黙した後、ゆっくりと口を開く。
「……安心されよ。」
「ここは大和である。」
「この地では、戦を避けてきた者を見捨てはしない。」
その言葉に、疲れ果てた門徒たちは初めて涙を流した。
この知らせはやがて勝龍寺城にも届けられ、三好三人衆への警戒は、それまで以上に強まっていくのであった。




