動き出した大軍
永禄七年九月。
三好長慶の死から二か月。
畿内へ集結した三好軍は、なおも京の目前で足を止めていた。
八月は喪主を巡って争い続けた。
そして九月に入ると、今度は阿波・讃岐・淡路から集結した四国勢を誰が率いるかで、三好三人衆は再び激しく対立した。
軍議は連日に及ぶ。
「総大将は我らが務める。」
三好長逸が言えば、
「長慶様を最も支えてきたのは我らだ。」
三好政康が譲らず、
「兵を預ける理由がない。」
岩成友通も一歩も引かなかった。
互いに数万の兵を抱えながら、誰一人として他の二人の指揮下へ入ることを認めない。
将たちは命令を待つだけであった。
逃げようとはしない。
三好康長が命を賭して離脱した末に討たれた姿を見ていたからである。
逃げれば死。
従えば生きられる。
ならば命令を待つしかない。
しかし、その命令を下す者が決まらなかった。
ある日は出陣準備。
翌日には中止。
夕刻には待機。
軍令は二転三転し、将兵は鎧を着ては脱ぎ、馬に鞍を置いては外す日々を繰り返した。
家臣の一人は思わず漏らした。
「長慶公がおられた頃は、一声で軍が動いた。」
「今は一歩進むにも、三人の顔色を窺わねばならぬ。」
その言葉どおりであった。
数万の軍勢を擁しながら、一歩も進めない。
それが長慶亡き三好家の現実であった。
---
九月下旬。
ようやく三好三人衆は最後の軍議を開く。
これ以上足踏みを続ければ、将軍方の備えは完成する。
誰もがそれだけは理解していた。
長い沈黙の末、三好長逸が口を開く。
「よかろう。」
「名目だけでもよい。筆頭は我が務める。」
政康は腕を組んだまま頷いた。
「構わぬ。ただし軍令は勝手に出すな。」
岩成友通も静かに続ける。
「我ら二人の了承なくして兵は動かせぬ。」
こうして決着した。
名目上の総大将、筆頭は三好長逸。
しかし軍令は三好政康、岩成友通を含む三人の合議によって決する。
互いを信用できぬ者同士が生み出した、苦肉の体制であった。
三好長逸は中央軍を率いる。
三好政康は右翼軍を率いる。
岩成友通は左翼軍を率いる。
三軍はそれぞれ独立した陣を敷き、互いを牽制しながら京を目指すこととなった。
ようやく、大軍は動き始めた。
しかし、その頃には情勢は大きく変わっていた。
御所では佐野昌綱率いる儀仗抜刀隊が守りを固め、篠原長房は京の情勢を詳しく伝えていた。
大和からは筒井順慶が国衆を率いて到着し、紀伊からは雑賀衆の精鋭が鉄砲を携えて加わる。
さらに真壁幹久を総大将とする小田の援軍も西国より姿を現し、少弐冬明、陶らもこれに従っていた。
二か月という歳月は、将軍方にとって何よりも貴重な時間となった。
一方、三好軍はついに京への進軍を開始する。
その軍勢はなお天下屈指の規模を誇っていた。
だが、その歩みは、長慶が率いた頃のような一枚岩の進軍ではない。
三人の思惑を抱えたまま進む、脆く危うい大軍であった。




