越後からの報
永禄七年四月。
京・信濃屋。
鹿島商館の一角では、佐野昌綱が茶を口にしていた。
女将が静かに近づく。
「佐野様。」
「越後より早馬が参りました。」
封を見た佐野は思わず姿勢を正した。
結城朝基からの急使だった。
封を切り、書状へ目を通す。
そこには驚くべき報せが並んでいた。
上杉謙信と小田家上野衆は、越中一向一揆を討ち破った。
その勢いのまま能登へ進軍。
さらに加賀へ兵を進める。
結城朝基の調略によって各地の豪族が相次いで降伏し、上杉勢の武勇もあって戦は快進撃となった。
だが、書状の最後には一つの問いが記されていた。
「武装解除した一向門徒、数多く捕縛す。これをいかに処すべきか。御屋形様のご裁断を請う。」
その頃、小田氏治もまた順慶と協議を重ねていた。
「門徒を皆斬れば、恨みは子や孫へ続く。」
氏治は静かに言う。
「しかし、そのまま帰せば再び兵となろう。」
順慶も腕を組み、しばらく考え込んだ。
やがて口を開く。
「ならば、大和に迎えてはいかがでしょう。」
「奈良ならば寺も多く、監督もできる。」
「さらに本願寺にも近い。」
氏治は頷く。
「よし。」
「武装解除した者は奈良へ移す。」
「農を望む者は農へ。」
「職を望む者には仕事を。」
「再び武器を取らぬ限り、命は奪わぬ。」
この裁定はただちに越後へ送られた。
数日後。
再び信濃屋へ一通の報せが届く。
越後からではない。
奈良からだった。
女将が静かに頭を下げる。
「佐野様。」
「筒井順慶様より使者が参っております。」
「それから……。」
女将は少し声を落とした。
「本願寺の下間頼廉様からも。」
佐野は顔を上げる。
「頼廉殿が。」
「はい。」
使者は文を差し出した。
『奈良へ到着する越後一向門徒について相談したき儀あり。順慶殿とともに、ぜひご足労願いたい。』
佐野は静かに文を閉じた。
法隆寺で交わした約束が、早くも形になろうとしていたのである。
窓の外では、春風に乗って京の鐘が遠く響いていた。




