乱世最大の茶会
天下茶碗品評会は、やがて乱世最大の外交舞台となった。
坂東、京、堺、西国――。
武将、公家、僧侶、豪商、茶人が一堂に会し、坂東ガレオンの広大な甲板では、名物茶碗を前に国の未来さえ語られている。
まさしく戦乱の世に生まれた、天下一の集いであった。
しかし、それほど多くの人々が集まりながら、不思議なことに堺の治安は恐ろしいほど良かった。
盗みは一件も起こらない。
喧嘩も起こらない。
酔って騒ぐ者さえ見当たらない。
その理由は誰もが知っていた。
港には坂東ガレオンが堂々と碇を下ろし、その周囲を坂東水軍が固める。
市中には結城朝基が警らを行い、佐野昌綱率いる儀仗抜刀隊が巡回する。
さらに新田義綱の騎馬隊が各所に控え、空には鷹の「標」と「北斗」が悠然と舞っていた。
「これほどの軍勢を前に、悪事を働こうなどという者はおるまい。」
商人たちは笑い合う。
「盗人も喧嘩好きも、今日は家で大人しくしておるわ。」
堺の町は笑い声に包まれ、子どもたちは安心して駆け回り、店々は戸を大きく開けて客を迎えた。
人々はやがて口を揃えて言う。
「これが坂東の治安か。」
「武威とは、人を斬るためだけにあるのではない。」
「誰も刀を抜かせぬことこそ、真の強さなのだ。」
その日、堺は乱世とは思えぬほど平穏であった。
そして、この平穏こそが、小田の軍勢がもたらした最大の威光であった。
その一方、足利義輝の妹は、最初こそ珍しい茶碗に目を輝かせていたものの、次第に退屈そうな表情を浮かべ始めていた。
茶人たちの話は釉薬や土味、窯変といった専門的な話題へ移り、一つの茶碗を前に延々と議論が続いている。
姫は小さく息をつき、ぽつりと漏らした。
「……皆さま、まだ同じ茶碗をご覧になっておりますのね。」
その何気ない一言を聞き逃さなかったのが、警固を統べる結城朝基であった。
朝基は静かに義輝の前へ進み、深く一礼する。
「将軍様。」
「申せ、朝基。」
「これより市中の警らへ向かいます。姫様も少々お疲れのご様子にございますれば、警らを兼ねまして、二刻ほど堺の町をご案内いたしたく存じます。」
義輝は妹の顔を見る。
退屈そうにしていた姫は、その言葉に思わず顔を上げた。
義輝は微笑み、佐野昌綱と新田義綱へ視線を向ける。
「昌綱、義綱。」
二人は同時に一歩前へ出る。
「はっ。」
「二人がついておれば案ずることはあるまい。」
義輝は穏やかに頷いた。
「朝基、姫を頼む。」
「ははっ。」
朝基は姫へ向き直る。
「姫様。堺には異国渡りの品々や香木、硝子細工、甘味など、見どころが数多くございます。歩いてこその堺にございます。」
姫の表情はぱっと花が咲くように明るくなった。
「本当ですか!」
「ええ。きっとお気に召していただけます。」
こうして結城朝基を先頭に、佐野昌綱と新田義綱が左右を固める一行は、警らを兼ねて堺の町へと歩み出した。
天下一の茶会の賑わいを背に、将軍家の姫は胸を躍らせながら、乱世随一の自由都市・堺の町へ足を踏み出した。




