京への帰還
九月も終わろうとしていた。
潮風に秋の気配が混じり始めた敦賀の港で、佐野昌綱と空蝉は最後に気比神社を訪れた。
富岡青洲をはじめ、継彦や門弟たちが見送る中、佐野は深く頭を下げる。
「三か月もの間、ご教導いただき、誠にありがとうございました。」
富岡青洲は腕を組み、いつものように豪快に笑った。
「礼なら剣で返せ。」
「次に会うときは、また儂を驚かせてみせい。」
「はい。」
短い返事だったが、その声には三か月前にはなかった自信が宿っていた。
空蝉もまた師の前へ歩み寄る。
「師匠。」
「達者でな。」
「お前もな。」
青洲はそれ以上何も言わなかった。
弟子とはそういうものだ。
語らずとも通じる。
空蝉は静かに一礼すると、佐野とともに敦賀をあとにした。
---
街道を南へ。
三か月ぶりの旅路は、不思議なほど軽かった。
佐野は以前より口数が増え、空蝉は以前より酒の量が減った。
互いに何かが変わっていた。
京が近づくにつれ、人も荷も増えてゆく。
やがて見慣れた町並みが現れると、空蝉は真っ先に信濃屋の暖簾をくぐった。
「女将、戻ったぞ。」
「おや、お帰りなさい。」
女将は二人の顔を見るなり、ほっとしたように微笑んだ。
「無事で何よりでした。」
空蝉は照れくさそうに鼻を鳴らす。
「……世話になった。」
普段なら絶対に口にしない礼の言葉だった。
女将は少し目を丸くする。
「どうしたんですか、今日はずいぶん素直ですね。」
「うるせぇ。」
ぶっきらぼうに答えると、懐から小さな包みを取り出した。
「敦賀で見つけた。」
「大したもんじゃねぇが……受け取れ。」
女将が包みを開くと、中には繊細な細工が施された鼈甲の髪飾りが収められていた。
秋草をあしらった上品な意匠である。
「……まあ。」
思わず女将の頬がほころぶ。
「ありがとうございます。」
「似合うかどうかは知らん。」
「ですが、大切にします。」
空蝉は照れ隠しに頭を掻く。
「柄じゃねぇことは分かってる。」
「師匠にも笑われそうだ。」
女将はくすりと笑った。
「そのお気持ちだけで十分嬉しゅうございます。」
そのやり取りを見ていた佐野も、静かに微笑んだ。
---
信濃屋へ戻った安堵も束の間だった。
佐野が荷を部屋へ運び終えた頃、一人の飛脚が店先へ駆け込んできた。
「佐野昌綱殿!」
店内の空気が変わる。
飛脚は懐から封をした書状を取り出した。
「常陸、小田家より急使。」
「小田氏治様直々のご書状にございます。」
佐野は表情を引き締めると、両手で受け取った。
封には見慣れた家紋が押されている。
三か月ぶりに見る主君の筆であった。
ゆっくりと封を切り、書状を開く。
読み進めるにつれ、その眼差しが鋭くなる。
空蝉も酒盃を置いた。
「……氏治からか。」
佐野は静かに頷く。
「はい。」
「新たな任です。」
敦賀で積み重ねた三か月は終わった。
剣を磨く日々は、ここで一区切りとなる。
これより先は、その剣を天下のために振るう時であった。




