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雨宿りの名刀

鴨川で空蝉から足運びの教えを受けてから、数日が過ぎた。


「戦は板の間では起きねえ。」


「頭を揺らすな。相手が動けねえ時に動け。」


その教えは佐野昌綱の胸に深く刻まれ、非番の合間にも人気のない路地や河原で足運びを繰り返していた。


そして、ようやく次の非番が巡ってくる。


だが、その日は朝から京はあいにくの雨だった。


灰色の雲が都を覆い、しとしとと降る雨が瓦を打つ。


鴨川は水かさを増し、数日前まで歩いていた河原も濁流の下に沈んでいた。


「今日は稽古も難しいか……。」


佐野はそう呟き、自然と足を信濃屋へ向けた。


暖簾をくぐると、店内には香ばしい焼き魚の匂いが漂っている。


奥では空蝉が朝餉の最中だった。


焼き魚を頬張り、味噌汁をすすり、ご飯を何杯も平らげている。


佐野に気づくと、箸を止めて笑った。


「おう、今日は休みか。」


「はい。」


「だが今日は雨だ。」


空蝉は窓の外へ目を向ける。


「こんな日に歩き回ってもしょうがねえ。」


「今日はここで飯でも食って、雨宿りだ。」


そう言うと苦笑した。


「最近は新田のおかげで京も静かになっちまった。」


「俺の仕事もめっきり減って、暇でしょうがねえ。」


佐野は笑みを浮かべる。


「それでは、せめてご指導をお願いできませんか。」


「断る。」


返事は早かった。


「雨の日に無理して体を動かしても身につかねえ。」


空蝉は湯呑みを口に運びながら、ふと佐野の腰に差した刀へ目を留めた。


「……その代わり。」


「刀を見せろ。」


佐野は黙って刀を差し出した。


空蝉は静かに刀を抜き、刃文を眺める。


軽く振り、柄を握り替え、重心を確かめるように何度か納刀と抜刀を繰り返した。


やがて小さく息をつく。


「やっぱりな。」


「この刀、お前には合ってねえ。」


佐野は少し驚いた。


「相模打ちの名刀ですが。」


「ああ、悪い刀じゃねえ。」


「騎兵が振るうなら申し分ねえ。」


空蝉は柄を軽く叩いた。


「だが、お前は馬には乗らねえ。」


「後の先で相手を崩し、最後は居合で決める。」


「ならもっと元が重く、少し長い刀のほうがいい。」


佐野は興味深そうに尋ねる。


「そのような刀があるのですか。」


空蝉は何かを言いかけた。


「……。」


しかし、口を閉ざして首を振る。


「いや、忘れろ。」


その時だった。


暖簾が勢いよく上がる。


「女将、鹿島商館へ文を頼みたい。」


入ってきたのは水戸頼家だった。


佐野の姿を見つけると笑う。


「お、今日は休みか。」


「はい。」


水戸は女将へ文を預けると、そのまま二人の卓へ腰を下ろした。


空蝉が何気なく言う。


「こいつを越前まで連れて行くことになりそうだ。」


「越前?」


水戸は眉を上げる。


「気比神社だ。」


空蝉はそれ以上何も語らない。


水戸は佐野を見て苦笑した。


「お前、働きすぎだ。」


「京へ来てから休みらしい休みもない。」


「任ですから。」


「だからだ。」


水戸は茶を一口すすった。


「誰かが言っていただろう。」


「中庸とな。」


「張り詰めた弦はいずれ切れる。」


「たまには任を忘れて旅に出ろ。」


そして空蝉へ向き直る。


「どうせ越前まで行くなら、一人で行かせるな。」


「誰か連れて行け。」


「道中もまた修行だ。」


空蝉は肩をすくめる。


「分かってる。」


佐野は二人のやり取りを静かに聞いていた。


やがて空蝉は観念したように息を吐く。


「佐野。」


「南海の珍品は残ってるか。」


「象牙の香箱、白檀、龍涎香などでしたらございます。」


「それで十分だ。」


空蝉は立ち上がり、不敵に笑った。


「雨が上がったら越前へ行くぞ。」


「気比神社に、お前のための刀が眠っている。」


雨音はなおも静かに信濃屋の軒を打ち続けていた。


だが佐野の胸には、新たな旅への予感が静かに芽生えていた。

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