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見えぬ護衛

信濃屋へ戻った佐野昌綱は、女将に一礼すると静かに言った。

「皆を集めていただきたい。」

女将は何も問わず頷く。

「将軍家のお仕事でございますね。」

「はい。」

「すぐに。」

ほどなくして、奥の座敷へ京で佐野と縁を結んだ者たちが集まった。

儀仗抜刀隊の水戸頼家。

北畠具教。

そして、障子が静かに開く。

「遅くなった。」

小綺麗な旅装束に身を包んだ空蝉が姿を現す。

天覧試合のときの幽鬼のような雰囲気はなく、町人にも僧にも見える穏やかな男であった。

さらに吉田兄弟も姿を見せる。

全員が揃うと、佐野は一枚の京の絵図を広げた。

「数日後、将軍家の姫君を嵐山へお連れする。」

座敷が静まり返る。

「将軍家の……姫。」

水戸が思わず息をのむ。

佐野は頷いた。

「将軍直々のご依頼だ。」

「ゆえに失敗は許されぬ。」

北畠が腕を組む。

「人数は。」

「表向きは私と姫君だけ。」

「ただし護衛は見えぬようにつける。」

空蝉が口元を緩めた。

「面白い。」

「護衛が見えれば、護衛を避けられる。」

「見えなければ敵はどこにいるか分からぬ。」

佐野も頷く。

「その通りだ。」

絵図を指しながら役割を決めていく。

「水戸殿は四条から西へ向かう街道。」

「抜刀隊二十名を町人に変装させ配置してほしい。」

「承知。」

「北畠殿は桂川周辺。」

「帰路の警戒をお願いする。」

「任せよ。」

「吉田殿方には寺社周辺を。」

兄弟は深く礼をした。

「剣友会一門を散らしておきます。」

最後に佐野は空蝉を見る。

空蝉は笑った。

「私には何を。」

「自由に。」

「ただし、異変だけは見逃さぬでいただきたい。」

空蝉は楽しそうに笑う。

「それが一番得意だ。」

「ならば私は老人になろう。」

「あるいは物売りか。」

「それとも按摩師か。」

一同から笑みが漏れる。

佐野だけは真面目な顔で頷いた。

「空蝉殿が最も自然と思われる姿で。」

空蝉は急に真顔になった。

「一つ約束していただきたい。」

「何でしょう。」

「私を見つけても声は掛けぬこと。」

「私が近くに現れたなら。」

「それは何かあると思っていただきたい。」

佐野は深く頷く。

「承知した。」

空蝉はさらに続けた。

「もし私が門前に老人として座っていたなら。」

「そこは通るな。」

「物売りなら先へ進め。」

「琵琶法師なら引き返せ。」

「姿そのものを合図にする。」

佐野はその場で覚え込む。

「なるほど。」

「言葉はいらぬ。」

「敵に聞かれることもない。」

空蝉は笑った。

「護衛とは、刀を抜かぬことだ。」

「刀を抜けば遅い。」

「敵に気付かれぬまま危険を消す。」

「それが上策だ。」

その言葉に佐野は静かに一礼した。

「ご助力、感謝いたします。」

その日の会合は夜更けまで続いた。

退避場所。

合流場所。

連絡役。

変装。

緊急時の合図。

すべてが細かく決められていく。

最後に佐野は全員を見渡した。

「この警護は、将軍家の威光を守るためではない。」

「一人の十六歳の娘に、安心して春を楽しんでいただくためのものだ。」

その言葉に誰も異論はなかった。

空蝉だけが静かに微笑み、小さく呟く。

「……良い護衛になったな、昌綱。」

春の夜風が信濃屋の暖簾を揺らしていた。

数日後、一行は嵐山へ向かうこととなる。

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