表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
35/1001

青鬼からの餞別

季節はめぐり、春に宇都宮を訪れた氏治たちは、秋を迎えて小田へ帰る日となった。


宇都宮城では、別れの膳が用意されていた。


山の幸、川の幸が並び、尚綱は上機嫌に酒を酌み交わしている。


「氏治。」


「次に会う頃には、少しは背も伸びておろうな。」


「はい、おじ上様。」


氏治が笑って答えると、義広も朝綱も朝基も笑顔になった。


宴も終わりへ近づいた頃。


尚綱はふと囲炉裏へ目を向ける。


揺れる炭火を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「……そうだ。」


「料理人。」


「鮎はあるか。」


家臣が首をかしげる。


「鮎、でございますか。」


「ああ。」


「よく焼け。」


「骨まで香ばしく焼いて持ってまいれ。」


料理人は急いで囲炉裏へ向かった。


真壁幹久が不思議そうに尋ねる。


「殿。」


「急に鮎とは。」


尚綱は自分でも不思議そうに笑う。


「分からぬのだ。」


「氏治の顔を見ていたら、急に鮎を食わせたくなった。」


「いや……。」


「鮎を肴に、一緒に酒を飲みたくなったと言うべきか。」


その場が静まり返る。


「酒……ですか?」


尚綱は照れくさそうに頭をかいた。


「ははは。」


「童相手に妙なことを申した。」


「まだ酒など飲める歳ではないというのにな。」


その何気ない言葉に、氏治は思わず息をのんだ。


(鮎……。)


(骨酒……。)


胸の奥で、亡霊となる前の記憶が静かによみがえる。


改変される前の歴史。


元服した自分は川魚を好み、とりわけ秋の鮎には目がなかった。


香ばしく焼いた鮎を肴にし、最後は骨を熱い酒へ浸して味わう。


そんな夜を、尚綱と幾度も過ごした。


笑いながら戦を語り、坂東の未来を語り合った。


だが、その歴史はもう存在しない。


この世界では、そんな日々はまだ訪れていないはずだった。


それなのに尚綱は、理由もなくその記憶の欠片だけを胸に残している。


やがて焼き鮎が運ばれてきた。


香ばしい香りが広間いっぱいに広がる。


尚綱は一本手に取ると、氏治へ差し出した。


「食え。」


「なぜだか分からぬが、お前はこれが好きな気がしてならん。」


氏治は両手で受け取り、小さく頭を下げた。


「いただきます。」


一口頬張る。


外は香ばしく、中はふっくらとしていた。


懐かしい味だった。


思わず目を閉じる。


「……おいしいです。」


その笑顔を見た尚綱も、どこか安心したように笑う。


「そうであろう。」


「それと――」


尚綱は自らの盃を見つめる。


「お前が元服したら。」


「今度は鮎の骨酒を一緒に飲もう。」


「きっと、お前は酒も好きになる。」


氏治の胸が熱くなる。


その約束は、改変前の歴史では何度も果たされた。


しかし、この世界の尚綱は、そのことを知らない。


知らないはずなのに、自然と同じ約束を口にしていた。


氏治は静かに頭を下げる。


「はい。」


「必ず、お供します。」


尚綱は豪快に笑った。


「約束だぞ。」


「その時は一晩中付き合え。」


広間は笑いに包まれた。


囲炉裏の炭が静かに爆ぜる。


誰も知らない、もう一つの歴史。


それでも人の縁だけは、時を越え、改変された世界にも確かに残り続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ