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信濃屋の密談

夕暮れ。

松永久秀との会談を終えた佐野昌綱は、六角堂近くの旅籠・信濃屋へ戻った。

暖簾をくぐると、土間には一人の老人が横になっていた。

旅人らしい粗末な身なりで、大きないびきをかいている。

佐野は一瞥しただけで、そのまま受付へ向かう。

「女将。」

「お帰りなさいませ、左衛門尉様。」

佐野は何気ない口調で尋ねた。

「今年の信濃味噌の出来は、どうです。」

女将は微笑み、少しも間を置かずに答えた。

「ちょうどございますよ。」

「少々、お待ちくださいませ。」

女将が奥へ下がる。

やがて障子が静かに開き、一人の男が現れた。

「お待たせいたしました。」

「左衛門尉殿。」

佐野は小さく頷く。

「出浦。」

男は笑みを浮かべ、一礼した。

「お久しゅうございます。」

二人は奥の座敷へ移る。

障子が閉まると、佐野は早速口を開いた。

「興福寺の一件だが――」

しかし、出浦は軽く手を上げて遮った。

「その話でしたら存じております。」

佐野は思わず眉をひそめる。

「知っている?」

出浦は楽しそうに笑った。

「私も抜刀隊の中におりましたから。」

佐野は目を見開いた。

「……何だと。」

「誰も気づいておりませぬよ。」

「隊士の一人として紛れておりました。」

「護衛も、襲撃も、その後の始末も、この目で見届けました。」

佐野は思わず苦笑した。

「相変わらずだな。」

「それが務めです。」

出浦は涼しい顔で答える。

「ですので、興福寺の話は承知しております。」

「むしろ、お聞きしたいのはその後です。」

「近衛邸で、何がございました。」

佐野は姿勢を正した。

「松永久秀に会った。」

その一言で、出浦の笑みがわずかに消える。

佐野は松永久秀との会談を、一つひとつ順を追って語り始めた。

自ら疑われることを承知で現れたこと。

「正直は美徳」と語ったこと。

西国では武具の調達が容易であるという話。

そして、近衛前久よりも今井宗及の方が恨みを買っているのではないかという見立て。

さらに、

「宗及殿は私と考え方が似ている。」

「だから私は殺さぬ。」

と笑ったことまで、余すところなく伝えた。

話を聞き終えた出浦は、腕を組み、静かに目を閉じる。

「なるほど……。」

「弾正殿らしい物言いです。」

そう呟くと、出浦はゆっくりと佐野へ視線を戻した。

「ですが。」

「一つだけ、気になることがございます。」

静かな座敷に、次の推理が始まろうとしていた。

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