正直は美徳
京。
近衛前久の屋敷。
佐野昌綱は朝廷より従五位下・左衛門尉に叙せられた後、改めて近衛邸へ招かれていた。
座敷へ足を踏み入れると、そこには前久のほかに一人の客がいた。
細身の体に静かな笑み。
鋭い眼光を宿した男は、扇子を手に佐野を見つめる。
「初めまして、左衛門尉殿。」
「松永弾正久秀にございます。」
佐野は静かに一礼した。
「佐野昌綱にございます。」
近衛前久が二人を見回した。
「双方、警戒は無用だ。」
「今日ここへ弾正殿を招いたのは私である。」
松永久秀は茶碗を手に取り、穏やかに口を開いた。
「興福寺の一件。」
「聞き及んでおります。」
「そして今日ここへ参った理由も、その件です。」
佐野は黙って耳を傾ける。
久秀は苦笑した。
「普通なら、皆こう思うでしょう。」
「陽動。」
「傭兵。」
「暗殺。」
「口封じの自害。」
「やり口だけ見れば、一番怪しいのは私だ、と。」
近衛前久も小さく頷く。
それは否定できない事実だった。
久秀は肩をすくめた。
「だからこそ参りました。」
「放っておけば疑いは私へ向く。」
「ならば、自ら顔を出して話した方が早い。」
佐野は静かに答える。
「私は腹の探り合いは好みませぬ。」
「ですから率直に申し上げます。」
「仮に弾正殿が首謀者であったとしても、この場で真実を話したところで弾正殿に害はございません。」
「私は裁きを下せる立場ではなく、この場で捕らえる兵もおりません。」
「どうか、真実だけをお聞かせ願いたい。」
久秀はしばらく佐野を見つめ、やがて声を立てずに笑った。
「左衛門尉殿。」
「実に正直なお方だ。」
そして静かに頷く。
「ならば私も、正直に申しましょう。」
座敷の空気が引き締まる。
「確かに、近衛殿がお倒れになれば。」
「三好の力を抑える者は大きく減ります。」
「私には、このまま畿内を統べる自信もあります。」
その言葉には揺るぎない自負があった。
しかし久秀は首を横に振る。
「ですが。」
「私は、それを望んではおりませぬ。」
前久が静かに目を細める。
久秀は続けた。
「朝廷があり、公家があり、寺社があり、商人がいる。」
「その均衡があるからこそ畿内は保たれる。」
「近衛殿がおられる方が、私は都合が良い。」
「それに、朝廷を敵に回すような真似は損な商いです。」
佐野は静かに頷いた。
「承知いたしました。」
久秀は茶を一口飲み、穏やかに笑う。
「左衛門尉殿。」
「正直は美徳です。」
「だから私も、もう一つ正直に申しましょう。」
「そなたが申した、西国の武具。」
「あれは見立てどおりです。」
佐野は姿勢を正した。
「やはり。」
「ええ。」
「今の西国は戦が絶えませぬ。」
「刀も槍も鉄砲も、作っては戦場へ送られる。」
「ゆえに東国より武具は流通しております。」
「金と伝手さえあれば、西国の武具を揃えること自体は難しくありませぬ。」
佐野は静かに礼をした。
「貴重なお話です。」
「つまり、西国の武具だからといって、西国の者とは限らぬ。」
「そのとおり。」
久秀は満足そうに頷いた。
そして不意に笑みを深めた。
「もっとも。」
「誰が一番、命を狙われていても不思議ではないか、と申されれば。」
「私は今井宗及殿ではないかと思っております。」
近衛前久が眉を上げる。
「宗及がか。」
「ええ。」
久秀は指を折りながら数えた。
「堺で巨万の富を築き。」
「商いで競り勝ち。」
「どの勢力とも取引をする。」
「敵も味方も選ばぬ。」
「そのような男は、恨みを買います。」
「味方も多いが、それ以上に敵も多い。」
佐野は静かに考え込んだ。
確かに宗及が狙われても不思議ではない。
久秀はそこで肩をすくめる。
「ですが。」
「私は宗及殿を殺しませぬ。」
前久が微笑む。
「それはなぜだ。」
久秀は声を上げて笑った。
「考え方が私と似ておりますゆえ。」
「損得を知り、人を見極め、争いさえ商いへ変える。」
「私は、ああいう男が大好きなのですよ。」
そう言って茶碗を掲げる。
「惜しい人物を、自ら失う趣味はございませぬ。」
座敷には穏やかな笑いが広がった。
しかし佐野の胸には、新たな疑問が芽生えていた。
興福寺で狙われたのは近衛前久だったのか。
それとも今井宗及だったのか。
あるいは――。
敵は、その答えすら分からぬように襲撃を仕組んだのではないか。
京の空は静かに晴れていたが、事件の真相はなお深い霧の中にあった。




