東大寺の再会
九月の興福寺大祭を前に、奈良の町は日ごとに賑わいを増していた。
その喧騒を見下ろすように、東大寺では儀仗抜刀隊二百が静かに駐屯している。
近衛前久の警護を任された隊長・佐野昌綱は、大仏殿を望む縁側に腰を下ろし、奈良の空を眺めていた。
「……。」
やがて、一羽の鷹が空高く現れる。
続いて、もう一羽。
二羽は東大寺の上空を大きく旋回すると、塔の上をかすめるように飛び、甲高く鳴いた。
佐野の口元に笑みが浮かぶ。
「来たか。」
ほどなくして山門の外から規則正しい足音が響いた。
小田家見廻衆二百。
先頭には新田政景。
その左右には側近の真田昌幸と内藤昌豊が従っている。
隊列は乱れることなく山門前で止まった。
新田は振り返り、真田へ命じる。
「皆を休ませろ。」
「ここまで強行軍だった。馬も兵も十分に休ませてやれ。」
「承知いたしました。」
真田は深く一礼すると、見廻衆を率いて宿営の準備へ向かった。
新田は内藤だけを伴い、東大寺の石段を登る。
佐野は立ち上がると、静かに迎えた。
「来るなら、お前だと思って待っていた。」
「俺も、お前ならここにいると思った。」
二人は固く手を取り合う。
兵学館で机を並べ、木剣を交えた学友。
今ではそれぞれが二百の精鋭を率いる将となっていた。
佐野はあらかじめ用意していた茶を二人へ差し出す。
「暑い日だ。」
「冷やしておいた。」
新田は一口含み、小さく息をついた。
「……うまい。」
「奈良の茶も悪くない。」
内藤も茶をいただくと、静かに茶碗を置き、二人へ一礼した。
「せっかくの学友同士のお話です。」
「私は席を外しております。」
そう言って立ち上がろうとした。
しかし新田が声を掛ける。
「まだだ、内藤。」
内藤が振り返る。
「座れ。」
「お前は俺の側近だ。」
「聞いておくべき話だ。」
「……はっ。」
内藤は再び腰を下ろした。
佐野はその様子を見て笑う。
「武田の宿将をそこまで信頼するか。」
新田も笑みを返した。
「今では俺の片腕だからな。」
佐野は頷くと、奈良の地図を広げた。
「警備について話そう。」
二人の表情が引き締まる。
「八月のうちに宍戸殿が動いた。」
佐野の指が郡山から奈良へ至る街道をなぞる。
「奈良口に陣地を築いている。」
「本格的な城ではない。」
「だが、有事には十分兵を止められる。」
新田も地図を見つめる。
「宍戸らしい。」
佐野はさらに南へ指を滑らせた。
「それだけではない。」
「紀伊方面でも何か造っている。」
内藤が尋ねる。
「砦ですか。」
「いや。」
佐野は首を振る。
「関所なのか。」
「船着き場なのか。」
「それとも両方なのか。」
「見た者も皆、よく分からぬと言う。」
新田は苦笑した。
「完成するまで誰にも教えん。」
「いかにも宍戸だ。」
三人から小さな笑いが漏れる。
やがて佐野は真顔へ戻った。
「ただ一つだけ確かなことがある。」
「大祭の間、宍戸殿は紀伊方面の警備を受け持つ。」
「南からの道は宍戸殿が守る。」
新田は静かに頷いた。
「奈良は筒井殿。」
「会場は興福寺僧兵。」
「近衛様はお前。」
「氏治様は俺。」
「互いに役目を果たすだけだ。」
その時だった。
縁側の外から、再び鋭い鳴き声が響く。
佐野が空を見上げる。
先ほどの雌鷹が屋根へ舞い降りた。
「標か。」
その隣へ、大柄な雄鷹が力強く降り立つ。
堂々と胸を張り、標の横へ並ぶ姿に佐野は目を細めた。
「……もう一羽いたのか。」
新田は穏やかに笑った。
「まだいるぞ。」
「標にも友が必要と思ってな。」
雄鷹は一声高く鳴く。
「こいつは北斗。」
「大内宿で譲り受けた鷹だ。」
「今回の旅から標と組ませている。」
北斗は標の肩へ静かに嘴を寄せる。
二羽は息を合わせるように翼を広げた。
佐野は感心したように頷く。
「見事な番だ。」
新田は奈良の空を見上げながら静かに語る。
「これからは標だけではない。」
「北斗と標。二羽で天から悪を見張る。」
「俺たちの目が届かぬところも、あいつらが見届ける。」
佐野はゆっくりと立ち上がり、空を仰いだ。
「ならば安心だ。」
「地の警護は俺たちが務めよう。」
「空は、その二羽に任せる。」
まるでその言葉に応えるように、北斗と標は同時に羽ばたいた。
青空へ舞い上がる二羽の姿を見送りながら、佐野は改めて新田へ視線を向ける。
兵学館では肩を並べて学んだ学友。
しかし今、その姿は違って見えた。
氏治の親衛を任され、真田や内藤という歴戦の武将を従える新田政景。
その立ち居振る舞いには、若き日の面影を残しながらも、すでに一軍を率いる大将の風格が備わっていた。
佐野は思わず笑みを浮かべる。
「学友が立派な将になったものだ。」
新田も照れくさそうに笑った。
「お前も同じだ、佐野。」
「近衛様を預かる将が何を言う。」
二人は顔を見合わせ、静かに笑った。
東大寺には穏やかな時間が流れていた。
だが、その青空を舞う北斗と標だけは、間もなく奈良に迫る不穏な影を、誰よりも早く見つめていた。




