南海の秘宝、興福寺へ
永禄五年(1562年)八月初旬。
九月に控えた興福寺の大祭を前に、一団が奈良へ入った。
先頭を進むのは、小田氏治。
供回りは最小限ながら精鋭で固められ、その左右には儀仗抜刀隊二百が警護につく。
その後ろには堺の大商人・今井宗及、そして雑賀衆を率いる鈴木重朝の姿があった。
三者が並んで奈良へ現れたことで、町は早くも騒然となる。
「堺の今井宗及だ。」
「雑賀衆まで来ている。」
「小田殿はいったい何を始める気だ……。」
興福寺では筒井順慶が自ら山門まで迎えに出た。
「遠路ご苦労にございます、小田殿。」
氏治は穏やかに一礼する。
「順慶殿。本日はお願いがあって参りました。」
寺僧たちが運び込んだ木箱が静かに開かれる。
中から現れたのは、艶やかな飴色に輝く鼈甲細工の香箱。
精巧な細工は一目で南海渡来の逸品と分かる。
続いて白檀にも似た甘く深い香りを放つ龍涎香。
さらに香木の王と称される沈香。
堂内には思わず息を呑む空気が流れた。
「これは……。」
「龍涎香まで……。」
「かような品を……。」
氏治は静かに合掌した。
「このたびの大祭が、末永く栄えますよう願い、心ばかりの寄進にございます。」
興福寺の僧たちも深く頭を下げる。
やがて席が整うと、氏治は順慶、今井宗及、鈴木重朝、寺社衆を見回して口を開いた。
「九月の大祭では、南海より集めた秘宝や珍品を奈良で披露し、売りたいと考えております。」
皆が耳を傾ける。
「しかし、この商いは一つでも欠ければ成り立ちません。」
氏治は宗及へ視線を向けた。
「堺がなければ品は集まりません。」
重朝を見る。
「雑賀がなければ海は越えられません。」
そして順慶へ向き直る。
「そして大和がなければ、人も信用も集まりません。」
「堺、雑賀、大和――。」
「何一つ欠けてはならぬ商いなのです。」
宗及は腕を組み、商人らしい笑みを浮かべた。
「なるほど。」
「では、小田様。」
「我らが力を貸したとして、見返りは何でございましょう。」
部屋が静まり返る。
氏治は迷うことなく硯を引き寄せ、紙を広げた。
さらさらと筆を走らせる。
書き終えた紙を宗及へ差し出した。
そこには、
紙。
筆。
硯。
墨。
茜。
茶。
蜜柑。
茶器。
さらに多くの品々が並んでいた。
宗及が思わず笑う。
「まだございますかな。」
氏治も笑みを返した。
「欲しい物など、数え始めればきりがありません。」
一同に穏やかな笑いが広がる。
氏治は最後にもう一つだけ付け加えた。
「できることなら、大和の高僧方にも、いずれ上野や会津へお越しいただきたい。」
「寺を建て、学びを広め、人を育てたいのです。」
順慶は氏治の真意を静かに見つめる。
氏治はゆっくりと皆を見渡し、穏やかに言った。
「これは一方的な援助ではありません。」
「施しでもありません。」
「商いの始まりです。」
「互いに利益を得て、互いに豊かになる。」
「その第一歩を、この奈良から始めたいのです。」
宗及は声を上げて笑った。
「ははは! なるほど、それは実に商人らしい話ですな!」
重朝も豪快に頷く。
「面白い。雑賀も乗ろう。」
順慶も深く頷いた。
「興福寺も力を尽くしましょう。」
こうして興福寺の大祭は、単なる宗教行事ではなく、堺・雑賀・大和・坂東を結ぶ新たな交易の舞台として動き始めた。




