夏の奈良、天下の祭りを目指して
六月――。
伊勢で諸国の国人や商人との約定を結んだ氏治一行は、大和国へと入った。
青葉に覆われた奈良は、都の喧騒とは異なる静けさを湛えていた。
東大寺の大仏殿は悠然と空を仰ぎ、興福寺の五重塔は夏空に黒々とそびえる。春日の杜には涼風が吹き抜け、鹿の群れが人を恐れることなく歩いていた。
一行を迎えたのは筒井順慶である。
「ようこそ、大和へ。」
順慶は氏治の前へ進み、深々と頭を下げた。
氏治も笑みを浮かべる。
「長らく待たせた。いよいよ始めよう。」
その日、興福寺の大広間には大和の有力者が一堂に会した。
筒井順慶。
松永久秀。
近衛前久。
一色藤長。
興福寺、東大寺、春日社の代表者。
そして氏治と真壁幹久。
大広間の中央には奈良一円の大きな絵図が広げられていた。
順慶が口火を切る。
「本日は、大和の未来を決める評定である。」
誰もが静かに耳を傾けた。
氏治はゆっくりと立ち上がり、絵図へ歩み寄る。
「秋。」
その一言に視線が集まる。
「収穫の季節、大和全土を舞台とした祭りを開きたい。」
興福寺の僧が目を見開く。
「一寺ではなく……大和全土でございますか。」
氏治は頷いた。
「興福寺だけではない。東大寺も、春日社も、円成寺も、奈良の町も、市も街道も、すべてが祭りの舞台だ。」
さらに続ける。
「歌会、連歌、茶会、田楽、猿楽、流鏑馬、武芸奉納、諸国の市、職人の市。人々が実りを祝い、武家も公家も寺社も商人も同じ場で笑い合う祭りにしたい。」
堂内は静まり返った。
これほど大きな祭礼を誰も聞いたことがなかった。
やがて近衛前久が静かに微笑む。
「都にも、そのような祭りはございませぬ。」
一色藤長も続く。
「将軍家もきっとお喜びになりましょう。」
順慶は地図を見つめながら言った。
「ならば準備が必要だ。」
氏治も頷く。
「祭りは秋に行う。夏いっぱいを使って準備を進めよう。」
その言葉に堂内の空気が変わった。
興福寺は寺院との調整。
東大寺は法会の準備。
春日社は神事の支度。
松永久秀は町割り、市場、商人の受け入れ。
順慶は大和国人衆をまとめ、街道や警備を整える。
氏治は静かに言葉を添えた。
「小田も力を貸そう。」
皆が氏治へ目を向ける。
「祭礼警護のため儀仗抜刀隊を増員する。また祭りに必要な資金と物資は小田が負担する。」
真壁幹久が一歩前へ出た。
「木材、鉄、布、紙、塩、酒、食料。常陸・下総・上野より集め、堺を経て奈良へ送り届けます。」
松永久秀は思わず笑みを漏らした。
「堺を経由するとは見事なお考え。商人も大いに潤いましょう。」
氏治は頷く。
「祭りは人だけでは成り立たぬ。物が集まり、商いが栄えてこそ天下の祭りとなる。」
近衛前久も満足そうに頷いた。
「朝廷にも、この志を奏上いたしましょう。」
順慶は氏治へ向き直り、深く頭を下げる。
「大和は祭りを用意する。小田殿はその礎を築かれる。」
氏治は首を横に振った。
「奈良は筒井殿の国だ。我らは友として支えるのみ。」
その言葉に堂内の者たちは大きく頷いた。
こうして評定は終わりを迎える。
しかし、奈良の夏はここからが本番であった。
寺では読経の声が響き、町では大工の槌音が鳴り渡る。
街道では荷馬車が往来し、堺へ向かう使者が駆け、各地へ祭礼の触れが送られていく。
まだ祭りは始まっていない。
だが、奈良の町全体が、秋に訪れる天下最大の収穫祭へ向け、大きく動き始めていた。




