興福寺、一ヶ月の大祭
一行が興福寺へ到着すると、空蝉はすぐに寺家の長老たちとの会談を願い出た。
興福寺の大広間には、南都の有力僧や各寺院の代表が顔を揃える。
空蝉は深く一礼すると、静かに口を開いた。
「お願いがございます。」
「戦ではございませぬ。」
「むしろ、その逆。天下に、奈良は文化の都であると知らしめる祭りを催していただきたいのです。」
僧たちは顔を見合わせた。
「祭り……ですと?」
「はい。一日や三日では足りませぬ。」
「一か月。」
その言葉に広間がどよめく。
空蝉は構わず続けた。
「興福寺だけではございません。興福寺を中心に、奈良一帯の寺院すべてが同時に催しを開くのでございます。」
「歌会。」
「連歌。」
「茶会。」
「蹴鞠。」
「流鏑馬。」
「雅楽。」
「舞楽。」
「猿楽。」
「能。」
「田楽。」
「琵琶・琴・笛の演奏。」
「仏教説法。」
「写経。」
「絵画。」
「仏師の公開制作。」
「名物市。」
「諸国の市。」
「武芸奉納。」
「弓術大会。」
「相撲。」
「子どもの遊び。」
「夜には万灯会。」
「昼夜を問わず、奈良が祭りとなるのでございます。」
次々と挙げられる催しに、僧たちは息を呑んだ。
空蝉はさらに言う。
「天下中の公家、武家、商人、僧侶、学者、芸人を招きましょう。」
「歴史書に残る規模で。」
「日の本の耳目を、すべて奈良へ集めるのでございます。」
興福寺は古来より藤原氏の氏寺として栄え、奈良の中心であり続けてきた。南都にはさまざまな法会や文化行事の伝統があり、この構想はその伝統を極限まで拡大したものだった。�
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やがて一人の老僧が問う。
「その費えは、いかがなさる。」
空蝉は静かに微笑んだ。
「小田殿がお出しになります。」
その場の全員が目を見開いた。
「祭りに必要な米。」
「酒。」
「紙。」
「筆。」
「茶。」
「薪。」
「灯。」
「舞台。」
「仮小屋。」
「旅籠。」
「すべて、小田家と堺の商人が手配いたします。」
「皆様には、この祭りを成功させることだけをお考えいただきたい。」
沈黙。
やがて僧の一人が笑った。
「……これほどの催しは、平城京以来か。」
別の僧も頷く。
「いや、それ以上であろう。」
「一寺の法会ではない。」
「奈良そのものが、一つの祭礼となる。」
空蝉は最後に一つだけ念を押した。
「この祭りは、武威を示すものではありません。」
「文化を示すものです。」
「剣ではなく、歌を。」
「槍ではなく、茶を。」
「戦ではなく、人々の集う姿を。」
「天下の誰もが、『奈良は中立であり、文化の都である』と自然に思うようになれば、それだけで十分なのです。」
長老は静かに立ち上がった。
「面白い。」
「これほど壮大な祭礼、南都の誇りに懸けて成し遂げよう。」
その一言を皮切りに、僧たちは次々と立ち上がる。
「東金堂は歌会を。」
「南円堂は連歌を。」
「北円堂は学問講義を。」
「大乗院は茶会を。」
「猿沢池では舟遊び。」
「春日の馬場では流鏑馬。」
「舞楽は中金堂前。」
「夜は万灯で奈良中を照らそう。」
「諸国の市も開こう。」
「諸芸百般を集めよ。」
「一か月、昼も夜も人が絶えぬ都にする。」
こうして興福寺を中心に、奈良一帯を舞台とする前代未聞の一か月祭典の準備が始まった。
その噂は、京へ、堺へ、近江へ、伊勢へ、越前へ、関東へと瞬く間に広がっていく。
誰もが口にした。
「奈良で、日本史上最大の祭りが開かれる。」
そして、天下の視線は戦場から離れ、静かに奈良へと集まり始めるのであった。




