筒井城の軍議――興福寺の歌会
「大和の誓い」が交わされたその日の夕刻。
筒井城の大広間には、筒井順慶をはじめ、近衛前久、北畠具教、佐野昌綱、水戸頼治、そして済済道人改め空蝉らが集まり、次なる一手を定める軍議が開かれていた。
奈良口での襲撃は退けた。
しかし、それは敵の一度目の失敗に過ぎない。
水戸頼治が地図を指し示す。
「敵は必ず再び仕掛けてまいります。近衛様を討てば朝廷への影響は計り知れず、小田との結び付きも断てる。敵にとっては、まだ諦める理由がありません。」
順慶も頷いた。
「城へ籠もれば守ることはできます。しかし、それでは敵は奈良中へ散り、いつ襲ってくるか分からぬ。」
重苦しい沈黙が流れる。
その時、空蝉が静かに立ち上がった。
「ならば、敵を探すのはやめましょう。」
皆の視線が集まる。
「敵の方から集まって来るようにするのです。」
佐野が問い返した。
「どうなさるおつもりですか。」
空蝉は穏やかに答えた。
「興福寺で歌会を催します。」
「しかも――。」
一呼吸置いて言った。
「日の本の耳目が興福寺へ集まるほど、盛大に。」
部屋が静まり返る。
空蝉はさらに続けた。
「都の公家、南都の寺社、大和の国人、諸国の名士まで招きましょう。」
「誰もが『興福寺で天下一の歌会が開かれる』と口にするほどの規模です。」
「後の歴史書に、『この年、興福寺にて未曾有の歌会が催された』と記されるほどの盛儀にしていただきたい。」
北畠が思わず笑った。
「敵に隠れるどころか、天下へ居場所を知らせるというわけか。」
「左様。」
空蝉は頷く。
「敵は必ず思います。」
『これほどの機会は二度とない。』
「ならば刺客も浪人も、雇われた兵も、一度に集まるでしょう。」
水戸の目が鋭く光った。
「そして集まったところを、一気に討つ。」
「それが狙いです。」
順慶は腕を組んだ。
「しかし、それほどの歌会となれば莫大な費用が必要です。」
北畠が静かに笑う。
「その心配は要りませぬ。」
「すべて小田家が負担いたします。」
一同が顔を上げた。
「興福寺への寄進。」
「歌会の設営。」
「来客への饗応。」
「諸国への使者。」
「必要な費えは一切、小田家が手配いたします。」
近衛前久は驚いたように言った。
「そこまでなさるのですか。」
北畠は当然のように答える。
「雅を惜しんで策は成りませぬ。」
「敵が『これほどの獲物は二度と現れぬ』と思うほどでなければ意味がありません。」
順慶も大きく頷いた。
「ならば筒井勢は奈良一円の警固を引き受けましょう。」
「寺社勢力とも連携し、町を混乱させぬよう備えます。」
佐野も続けた。
「抜刀隊は儀仗として近衛様に従います。」
「敵が現れた瞬間、一気に斬り込みます。」
水戸は地図へ新たな印を付けた。
「敵は歌会だけでなく、近衛様の移動も狙うでしょう。」
近衛前久は静かに口を開いた。
「ならば、一条家にもお越しいただきましょう。」
「わたくし自ら進物を携え、一条殿へ献上に参ります。」
「摂関家が二家そろえば、この催しは天下の話題となりましょう。」
空蝉は深く頷いた。
「それで十分です。」
「敵は必ず動きます。」
軍議がまとまりかけた時、空蝉は再び立ち上がった。
「ですが、一つだけお願いがあります。」
その声は先ほどまでとは違い、大和で育った一人の男の願いそのものだった。
「この策は奈良を危険にさらします。」
「ゆえに、この件が終わりましたなら、近衛様のお力をお借りしたい。」
前久は静かに頷く。
「何でしょう。」
「奈良を、恒久の中立地としていただきたいのです。」
部屋の空気が変わる。
空蝉はゆっくりと言葉を続ける。
「足利が争えば奈良が焼ける。」
「三好が争えば奈良が焼ける。」
「織田が来ても奈良が焼ける。」
「それでは、この国はいつまで経っても立ち直れません。」
順慶は静かに目を伏せた。
誰よりも、その現実を知っていた。
空蝉は近衛前久へ向き直る。
「三好にも、織田にも認めさせてください。」
「奈良は朝廷と寺社を戴く中立の地である、と。」
水戸が尋ねた。
「しかし、その約定が守られなければ。」
空蝉は静かに首を振った。
「守られなくとも構いません。」
皆が息をのむ。
「必要なのは、約束ではありません。」
「約束を破る者は、朝廷の意に背く。」
「その名目を残すことです。」
近衛前久は目を閉じ、ゆっくりと頷いた。
「なるほど……。」
「戦を止めるのではなく、戦を起こしにくくする。」
「そのための大義ですな。」
「左様です。」
空蝉は続けた。
「そして、もう一つ。」
「近衛家と一条家。」
「摂関家の両家が心を一つにして奏上なされば――。」
空蝉は静かに言い切った。
「動かぬ帝は、この天下にはおられませぬ。」
近衛前久はしばらく黙していたが、やがて立ち上がると、空蝉へ深く一礼した。
「承知いたしました。」
「近衛家、一条家、そして朝廷の威をもって、この大和を再び戦場とせぬ道を探りましょう。」
順慶も立ち上がり、一同を見渡した。
「では始めましょう。」
「天下の耳目を集める歌会を。」
「そして、その華やかさに引き寄せられた敵を、この奈良で討ち果たします。」
こうして筒井城の軍議は終わった。
その日から興福寺では、日の本中に名を轟かせ、後の歴史書にも記されるほど壮大な歌会の準備が始まる。
しかし、その雅やかな催しの裏では、奈良へ集う刺客たちを一網打尽にするための、静かな戦の幕が上がろうとしていた。




