大和の誓い
奈良口での挟撃を退けた一行は、傷を負った者を荷車に乗せながら大和路を進んだ。
前を行く佐野昌綱が静かに言う。
「敵はこれ以上は追ってこぬでしょう。奈良へ入れば寺社も町も多い。無闇に刃を振るえば、大和中を敵に回します。」
北畠も頷く。
「ようやく大和の内に入ったか……。」
一行は荒れた村々を抜け、大和郡山から筒井の地へ向かう。
焼け跡の残る屋敷。 主を失った田畑。 寺の門前には流民が集まり、武具を売って粥を求める浪人の姿もあった。
済済道人は、その光景をじっと見つめていた。
「……変わってしまった。」
佐野が隣に並ぶ。
「知っている土地なのですか。」
「ああ。」
済済道人は静かに頷いた。
「私は若い頃、この奈良で修行した。柳生にも興福寺にも世話になった。剣も、人としての礼も、この地で学んだ。」
しばらく沈黙したあと、小さく続けた。
「だが、この数年で大和は何度も戦場になった。」
「足利が争い、三好が争い、松永が争い、織田までもが入り込んだ。」
「勝った者は去り、負けた者も去る。残るのは土地だけだ。」
その言葉に、一行は誰も返せなかった。
やがて一行は筒井城へ到着する。
城門には完全武装の兵が並び、厳しい視線を向けていた。
柳生宗厳からの書状が差し出される。
しかし城兵は容易には門を開かない。
やがて奥から若き当主・筒井順慶が姿を現した。
順慶は書状を読み終えると、静かに口を開く。
「柳生殿の言葉は信用しております。」
「ですが、大和はもう疲れ果てています。」
「誰か一方へ味方すれば、もう一方が攻めてくる。」
「私は国を守らねばならぬ。」
その声音には、若くして国を背負う者の苦悩がにじんでいた。
「ゆえに、中立を保とうと考えておりました。」
佐野も北畠も無理は言えなかった。
その時だった。
済済道人が一歩前へ出る。
「順慶殿。」
そう言うと、誰よりも深く頭を下げた。
「お願い申し上げる。」
周囲がどよめく。
「あの済済道人が……。」
「頭を下げたぞ。」
済済道人は顔を上げなかった。
「私はかつて、この奈良で生きた。」
「この地で飯を食い、この地で剣を学び、この地を守るために戦った。」
「だからこそ頼む。」
「どうか奈良を、もう誰かの戦場にしないでほしい。」
その日から済済道人は城に留まらなかった。
城下へ降り、
寺を巡り、
郷士を訪ね、
離散した国衆を探し、
一人ひとりに頭を下げ続けた。
「済済が来た。」
「あいつが戻ってきた。」
「あの男が頼むなら……。」
誰もが驚いた。
天下に名を知られる剣豪が、誇りを捨てて歩いていたからである。
三日。
五日。
七日。
やがて筒井城の広間には、大和各地の国人たちが静かに集まり始める。
柳生の者。
古市の者。
越智の者。
箸尾の者。
寺社勢力の代表。
郷士たち。
皆が済済道人の願いに応え、順慶のもとへ足を運んでいた。
順慶は広間を見渡し、静かに息を吐く。
「……柳生殿の書状だけでは、私は動かなかったでしょう。」
そして済済道人へ向き直る。
「しかし、あなたは大和の者たち一人ひとりに頭を下げた。」
「その姿を見て、国人たちが集まった。」
順慶は立ち上がり、氏治の一行へ向けて深く一礼した。
「筒井順慶。」
「大和を守るため、皆と力を合わせましょう。」
広間にいた国人たちも次々と頷く。
戦乱に疲れ果てた大和に、久しく失われていた「一つになる」という希望が、静かに芽吹こうとしていた。




