恩は巡る
佐野昌綱が剣友会の門をくぐると、木刀の打ち合う乾いた音が庭いっぱいに響いていた。
門の脇には、新しく掲げられた看板がある。
──剣友会。
以前は上泉伊勢守の道場と呼ばれていた場所である。
だが今は違う。
武士だけではない。
公家、神職、僧侶、町人までもが身分を問わず集い、剣を学び、語り合う場所となっていた。
その名を考えたのは吉田兄弟である。
「佐野殿、お久しぶりです。」
吉田兄弟が笑顔で迎える。
佐野は看板を見上げ、静かに頷いた。
「剣友会か。」
兄は嬉しそうに答えた。
「ここは先生のお弟子だけの道場ではありません。」
弟も続ける。
「剣を通じ、人と人とが結ばれる場です。ならば『友』の字こそ相応しいかと。」
その時、奥から上泉伊勢守が姿を見せた。
「どうだ、佐野。」
「良い名でしょう。」
佐野は深く一礼した。
「まことに。」
「先生らしい場所になりました。」
上泉は満足そうに笑った。
「名は弟子どもが考えた。儂は気に入っただけだ。」
四人は笑い合い、そのまま庭へ入る。
庭では柳生宗厳が町人へ木刀の振り方を教えていた。
相手は武士ではない。
畑仕事帰りらしい男である。
構えも覚束ない。
しかし柳生は根気よく足運びから教えていた。
稽古を終えると、その男は風呂敷を差し出す。
「宗厳様、大したものではありませんが。」
中には畑で採れた大根や胡瓜が入っていた。
柳生は嬉しそうに受け取る。
「十分です。」
「皆でいただきましょう。」
男は何度も頭を下げて帰っていった。
佐野はその様子を見つめる。
「入門料ですか。」
柳生は笑った。
「いいえ。」
「金はいただきませぬ。」
「家に余るものを一つ持って来ていただくだけです。」
「野菜でも薪でも、干魚でも構いません。」
「剣を学びたい心に身分も貧富もありませんから。」
上泉も静かに頷いた。
「剣友会はそういう場だ。」
しばらく世間話を交わした後、柳生はふと表情を改めた。
「佐野殿、お礼を申し上げねばならぬことがございます。」
「私にですか。」
「ええ。」
柳生は静かに頭を下げた。
「二か月ほど前からでしょうか。」
「吉田殿方のお取り計らいで、信濃屋を通じ、伊勢や坂東の品々が里へ届くようになりました。」
「米、味噌、野菜、干魚、時には薬草まで。」
「おかげで里の者は飢えず、この剣友会も続けることができております。」
佐野は少し驚いた顔をした。
「信濃屋から……。」
吉田兄弟は顔を見合わせて笑う。
「信濃屋は商いだけの店ではありません。」
「伊勢と京、そして坂東を結ぶ縁でもあります。」
柳生は続けた。
「最初は誰の計らいか存じませんでした。」
「ですが、吉田殿方から事情を伺いました。」
「坂東、小田氏治殿のお心遣いであると。」
佐野は静かに首を振る。
「私は何も。」
「すべて氏治様のお考えです。」
「私は命じられたことをお手伝いしただけにございます。」
柳生は微笑んだ。
「それでも、届けてくださったことには変わりありません。」
「この御恩、必ずお返しいたします。」
佐野は少し照れくさそうに笑うと、懐から朝廷の書状を取り出した。
「実は本日、そのことで皆様のお力をお借りしたく参りました。」
その場の空気が変わる。
上泉伊勢守も歩み寄り、柳生、吉田兄弟とともに佐野の前へ腰を下ろした。
佐野は書状を開き、一同を見回す。
「朝廷より、ある公家様の伊勢神宮御参詣と、進物奉納の護衛を命じられました。」
「この旅を無事に成し遂げるため、皆様のお知恵をお借りしたいのです。」
上泉は静かに頷いた。
「なるほど。」
「ならば、まずは皆で道筋を考えるとしよう。」




