坂東馬と二人の少年
宇都宮城での宴は夜更けまで続いた。
青鬼こと宇都宮尚綱は、氏治が持参した鴨の燻製を頬張り、酸味のある澄んだ酒を何度も盃へ注いでは豪快に笑う。
「ははは!」
「まるで長年の友が遊びに来たようではないか!」
「氏治、お前は本当に初めて宇都宮へ来たのか?」
氏治は照れくさそうに笑うだけだった。
その様子を見ていた家臣たちも、いつしか笑顔になっていた。
「殿が、あれほど楽しそうなのは久しぶりですな。」
「若君には人を和ませる不思議な力があります。」
尚綱は満足そうに頷いた。
「今日はよい。」
「難しい話は明日からだ。」
「まずは、この子らに宇都宮を知ってもらおう。」
そう言って家臣へ目配せする。
「朝綱。」
襖が静かに開き、一人の幼い少年が姿を現した。
五つほどだろうか。
氏治より二つほど幼く、小柄な体つきである。
だが、その瞳だけは年齢に似合わぬほど落ち着いていた。
「結城朝綱にございます。」
氏治はその名を聞き、胸の奥が熱くなる。
(朝綱殿……。)
亡霊として過ごした長い年月の記憶がよみがえった。
尚綱は朝綱の肩へ手を置く。
「結城家の子だ。」
「『綱』の一字は、我が宇都宮との縁を示しておる。」
「幼いうちから預かり、人となりを見ている。」
「いずれは宇都宮を背負う器になるやもしれん。」
朝綱は恥ずかしそうに頭を下げた。
氏治は笑顔で近づく。
「私は小田氏治です。」
「仲良くしてください。」
朝綱も小さく微笑んだ。
「はい。」
「よろしくお願いいたします。」
その笑顔を見た尚綱は満足そうに笑う。
「氏治。」
「朝綱はよく人を見る。」
「年は幼いが、見習うことも多いぞ。」
「はい、おじ上様。」
翌朝。
春の陽射しを受けた宇都宮城の馬場では、馬たちが元気よく駆け回っていた。
氏治は思わず目を見張る。
「大きい……。」
真壁幹久も感心したように頷く。
「見事な馬ですな。」
尚綱はどこか誇らしげだった。
「これが宇都宮自慢の坂東馬よ。」
「古くから坂東にいた日本在来の馬へ、北方より伝わった大きな馬の血を重ねた。」
「速さだけではない。」
「力も、持久も備えておる。」
馬番が一頭を引いてくる。
肩までの高さは他国の馬より一回り大きい。
胸板も厚く、脚は太く力強い。
それでいて眼差しは穏やかだった。
氏治は感心したように馬を見上げる。
「立派ですね。」
尚綱は馬の首を撫でた。
「武士が馬を育てるのではない。」
「馬もまた、武士を育てる。」
「坂東を守るには、この馬が欠かせぬ。」
その時だった。
「朝綱!」
家臣の声が響く。
朝綱は一人で馬の前へ歩いていく。
大人でもためらうほど大きな坂東馬だったが、朝綱は少しも怖がらない。
ゆっくりと手を差し出す。
馬は鼻を鳴らし、その小さな手の匂いを嗅ぐと、自ら額を寄せてきた。
「いい子だね。」
朝綱は静かに首筋を撫でる。
馬も安心したように目を細めた。
「ほう。」
氏治は思わず声を漏らす。
尚綱は嬉しそうに笑う。
「朝綱は昔からこうだ。」
「馬を恐れぬ。」
「いや、恐れぬのではない。」
「馬の心を読むのだ。」
氏治は静かに頷いた。
「だから馬も安心するんですね。」
尚綱は満足そうに笑った。
「そのとおりだ。」
「武とは、力で従わせることではない。」
「相手を知ることから始まる。」
その言葉を聞きながら、氏治は朝綱を見つめる。
未来では名君と呼ばれるその片鱗は、まだ五歳の少年にも、確かに宿っていた。
しかし、その穏やかな馬場が、次の瞬間、小さな騒ぎへと変わることを、この場の誰もまだ知らなかった。




