静寂の剣
第三回戦が終わると、御所の試合場には重々しい空気が流れていた。
数多の剣士が敗れ、勝ち残った者はわずか四人。
役人が高らかに名を読み上げる。
「坂東国、小田家家臣――佐野昌綱!」
「吉田神道――吉田兼成!」
「吉田神道――吉田兼盛!」
「越前敦賀の旅の剣士――済済道人!」
四人が白砂へ姿を現した瞬間、御所はこの日一番の歓声に包まれた。
「佐野殿だ!」
「吉田兄弟も残ったぞ!」
「盲目の剣士はどのような剣を使う!」
公家も武士も町人も、一斉に声を上げる。
御簾の奥では女房たちが小さく歓声を上げ、町人たちは背伸びをしながら試合場を見つめていた。
しかし、その中でただ一人。
済済道人だけが静かに立ち尽くしていた。
耳が、あまりにも多くの音を拾っていた。
歓声。
拍手。
草履の擦れる音。
衣擦れ。
砂利を踏む音。
子どもの笑い声。
すべてが一度に耳へ飛び込んでくる。
済済道人は木刀を握ったまま、小さく息を吐いた。
「……参った。」
その呟きを聞き取ったのは、目の前の佐野だけだった。
「今日は人が多すぎる。」
「これでは、おぬし一人の音を聞き分けられぬ。」
佐野は静かに頷いた。
戦場ならば、この状況を利用する。
味方に鬨の声を上げさせ、敵の耳を惑わせる。
それもまた兵法である。
だが、ここは帝の御前。
武を競う晴れの舞台だった。
佐野は木刀を下ろし、審判へ向かって一礼した。
「恐れながら、お願いがございます。」
場内が少し静まる。
審判が問いかけた。
「申してみよ。」
佐野は観客席へ向き直り、深々と頭を下げた。
「済済道人殿は、耳と気配で剣を振るわれます。」
「この歓声は、その剣を曇らせます。」
「願わくば、この一戦だけは、お静かにご覧いただけないでしょうか。」
その言葉に、公家たちは互いに顔を見合わせた。
やがて一人の老公家が頷く。
「もっともである。」
その一言を合図に、女房たちは口元へ袖を添え、町人たちも静かに口を閉じた。
子どもでさえ親に抱かれ、息を潜める。
武士たちも腕を組み、黙って二人を見守った。
やがて、御所は水を打ったような静寂に包まれる。
風が幟を揺らす音だけが、かすかに響いた。
審判が声を上げる。
「これより、仕切り直す!」
「双方、位置へ!」
佐野は静かに元の位置へ戻る。
済済道人も白砂を足裏で確かめながら、一歩ずつ歩み、正対した。
しばらく沈黙が流れる。
その静寂の中で、済済道人がゆっくりと木刀を胸の前へ納めた。
そして深々と腰を折る。
「佐野殿。」
「かたじけない。」
「このような心遣いを受けるとは思わなんだ。」
その礼は長かった。
勝負の前に捧げる、武人としての最大の敬意である。
佐野もまた深く一礼した。
「私は、あなた本来の剣と戦いたいだけです。」
済済道人は穏やかに笑った。
「ならば。」
「今度こそ、全力で参ろう。」
上座で見守る上泉伊勢守は満足そうに頷く。
「よい。」
「勝ちを拾うのではない。」
「武を競うのだ。」
柳生も静かに頭を下げた。
「これぞ、真の試合。」
審判が木槌を打つ。
「双方、構え!」
佐野は正眼に構える。
済済道人は木刀を低く構え、耳を澄ませるように静かに立つ。
その足裏は白砂を感じ、大地の微かな震えを探っていた。
風が吹く。
佐野の衣がわずかに揺れる。
済済道人の耳が、その音を捉える。
誰も動かない。
御所には、帝をはじめ、公家、武士、町人、すべての者が集っていた。
しかし今は、誰一人として物音を立てない。
まるで世界に二人しかいないかのような静寂。
審判が大きく息を吸い込む。
「──始め!」
その一声とともに、佐野昌綱と済済道人は、ゆっくりと互いの間合いへ歩み始めた。
礼によって整えられた静寂の中、準決勝にふさわしい真の勝負が、いま幕を開けたのである。




