礼と殺気
佐野昌綱の試合には、不思議な美しさがあった。
試合場へ進む歩み。
立ち止まる位置。
木刀を捧げ持つ所作。
一礼の角度に至るまで、一つ一つが無駄なく整っている。
まるで宮中の儀式を見ているかのような、洗練された立ち居振る舞いであった。
観覧席の公家たちは思わず顔を見合わせる。
「あれは見事な礼法だ。」
「武家とは思えぬ。」
「いや、公家でもあれほど美しい所作は容易ではあるまい。」
神職たちも静かに頷く。
吉田兄弟は互いに目を合わせ、小さく微笑んだ。
「礼法も相当修めておられますね。」
「先生がお認めになるだけのことはあります。」
町人たちも、その姿に目を奪われていた。
「きれいな立ち方だ。」
「あんな武士は初めて見た。」
「試合が始まる前から見入ってしまう。」
だが――。
開始の合図とともに、空気が一変した。
佐野の眼差しから穏やかさが消える。
静かに構えたまま動かない。
それだけで、試合場の空気が張り詰めた。
凍てつくような殺気。
声を荒げることもない。
気勢を上げることもない。
ただ立っているだけなのに、その場にいる者すべてが息を潜めた。
対する剣士は思わず足を止める。
(動けない……。)
踏み込めば斬られる。
そんな理屈では説明できない確信が胸を締め付ける。
額から脂汗が流れ落ちる。
佐野はなおも動かない。
待っている。
相手が自ら攻めてくる、その一瞬を。
上座で見守る上泉伊勢守は、酒を口に運びながら小さく笑った。
「待っておるな。」
柳生も頷く。
「はい。」
「後の先です。」
「相手に先を打たせ、その起こりを制する。」
耐え切れなくなった相手が、気合とともに踏み込んだ。
「やあっ!」
その瞬間。
佐野の身体が風のように動く。
相手の太刀を受け止めるのではなく、美しく受け流す。
まるであらかじめ打ち合わせた約束組太刀のように自然な流れで、相手の姿勢を崩した。
そして、その崩れを逃さない。
一閃。
二閃。
三閃。
木刀が霞のように走り、連撃が一息のうちに繰り出される。
最後の一撃が柄元を正確に打ち抜いた。
――パシンッ!
相手の木剣が高く宙を舞う。
白砂へ転がる音だけが、静まり返った試合場に響いた。
「それまで!」
審判の声が響くと同時に、大きなどよめきが起こる。
「美しい……。」
「礼も剣も一流だ。」
「あれほど静かな剣で、人を震え上がらせるとは。」
公家たちはその礼法に見惚れ、武士たちはその剣に息を呑む。
佐野昌綱の試合は、礼と武が一つとなった、誰も見たことのない一太刀であった。




