それぞれの志
翌朝。
佐野昌綱はいつものように上泉伊勢守の道場へ向かった。
門をくぐると、普段は静かな道場が珍しく賑わっていた。
「今年は天覧試合らしいぞ。」
「帝の御前で腕を競える機会なんて滅多にない。」
「諸国の剣豪も集まるそうだ。」
門弟たちは口々に語り合い、木刀を手に普段以上の熱気で稽古に励んでいる。
佐野が道場へ入ると、柳生が苦笑しながら迎えた。
「佐野殿も聞かれましたか。」
「はい。昨日、信濃屋で。」
柳生は肩をすくめる。
「皆、浮き足立っております。」
「私は出ませんが。」
佐野は意外そうに尋ねた。
「柳生殿ほどのお腕でもですか。」
柳生は畑の方へ目を向け、小さく笑った。
「私は目立つのが好きではありません。」
「今の暮らしで十分です。」
「畑を耕し、剣を磨き、仲間と飯を食う。」
「それ以上は望みません。」
「勝てば名が広まり、負けても名が広まる。」
「どちらも私には性に合いません。」
その飾らぬ言葉に、佐野は思わず笑みを浮かべた。
そこへ上泉伊勢守が豪快に笑いながら現れた。
「はっはっは!」
「柳生は昔から変わらぬな。」
門弟の一人が尋ねる。
「では、先生は出られるのですか。」
上泉は大きく笑って自分の膝を叩いた。
「儂か。」
「儂は出ん。」
「もうジジイだからな!」
道場中に笑いが広がる。
「若い者が競えばよい。」
「儂はここで酒でも飲みながら結果を聞くことにする。」
「先生、それでは昼間から飲む気でしょう。」
柳生が呆れたように言うと、上泉はまた豪快に笑った。
「ばれたか!」
再び道場が笑いに包まれた。
その時、吉田兼成と兼盛の兄弟も姿を見せる。
「私たちは出ますよ。」
兼成が胸を張る。
「おや、吉田殿もですか。」
佐野が尋ねると、兼盛が笑いながら答えた。
「もちろん。」
「優勝して帝にお願いするのです。」
「何をお願いするのです。」
兄の兼成が冗談めかして胸を張った。
「吉田神社を、伊勢神宮や出雲大社にも負けない神社にしてください、と。」
一瞬静まり返り――
次の瞬間、道場中が大笑いになった。
「おいおい、それは欲張り過ぎだ!」
「帝も困られるぞ!」
「まずは優勝してから言え!」
上泉は腹を抱えて笑った。
「はっはっは!」
「それくらい大きな夢の方が面白い!」
兼成も笑いながら頭をかく。
「もちろん冗談半分ですよ。」
「ですが、吉田神社をもっと多くの人に知っていただきたいのは本心です。」
兼盛も真面目な顔になった。
「神道を広め、朝廷を支える。」
「それが私たち吉田家の役目ですから。」
佐野は兄弟を見つめ、静かに頷いた。
剣を振る理由は、人それぞれだった。
名誉を求める者。
己を磨く者。
家を興す者。
神道を広めようとする者。
そして、自分は――。
「坂東と京を結ぶため。」
氏治から託されたその使命を胸に、佐野は静かに木刀を握り直した。
その様子を見た上泉は、満足そうに一度だけ頷いた。
「よし。」
「今日は試合を見据えた稽古だ。」
「いつも以上に厳しくいくぞ。」
その一言で、道場の空気は再び引き締まる。
五月の天覧試合は、すぐそこまで迫っていた。




