天覧試合への推薦
京へ来て数日が過ぎた。
朝は上泉伊勢守の道場で剣を学び、昼は町を巡って人々の暮らしを知り、夜は信濃屋へ戻って北畠具教と水戸頼家から朝廷や公家社会の話を聞く。
そんな日々を送っていたある夕刻。
信濃屋の主人が一枚の書付を手に、囲炉裏の間へやって来た。
「皆様、お耳に入れておきたいことがございます。」
具教が顔を上げる。
「何でしょう。」
「町では、今年五月に天覧試合が催されるという噂でもちきりでございます。」
「帝の御前で、諸国の剣豪が技を競うそうです。」
その言葉に、部屋の空気が変わった。
佐野も静かに主人を見つめる。
「天覧試合……。」
主人は頷く。
「数年に一度開かれる催しでございます。」
「腕に覚えのある者は皆、その日に合わせて京へ集まるとか。」
主人が下がると、水戸頼家は腕を組んで佐野を見た。
「佐野殿。」
「出場なされてはいかがですか。」
佐野は少し驚いた表情を見せる。
「私が、ですか。」
「ええ。」
水戸は力強く頷いた。
「あなたほどの腕なら十分に勝ち進めましょう。」
北畠具教も静かに口を開く。
「水戸殿の申すとおりです。」
「天覧試合は単なる武芸大会ではありません。」
「帝がご覧になられ、優れた者にはお言葉を賜り、褒美を授けられることもございます。」
佐野は黙って耳を傾ける。
具教は続けた。
「武家が朝廷へ近づく機会は決して多くありません。」
「しかし、この試合だけは違います。」
「実力によって帝の御前へ進むことができる。」
「坂東の武が都に認められる絶好の機会でしょう。」
水戸も笑みを浮かべた。
「しかも優勝すれば、帝への拝謁が叶う。」
「坂東の名を京へ広めることもできます。」
「これほどの好機はございません。」
佐野はしばらく考え込んだ。
やがて静かに口を開く。
「ですが、私は勝つためだけに京へ来たわけではありません。」
「礼法を学び、公家との縁を結ぶことこそ使命です。」
具教は穏やかに微笑んだ。
「だからこそ出場なさるべきなのです。」
「武だけを誇る者ではなく、礼を知る武士として帝にお会いする。」
「それは小田様のお考えにも通じましょう。」
その言葉に、佐野ははっとした。
確かに氏治は幾度となく語っていた。
『武は国を守るためにある。』
『礼は国を治めるためにある。』
その二つを兼ね備えた者こそ、新しい坂東武士であると。
水戸が笑って肩を叩く。
「我らが推薦いたします。」
「京で小田家を代表して戦えるのは、佐野殿しかおりませぬ。」
具教も静かに頭を下げた。
「私も同意いたします。」
「この天覧試合には、小田家代表として佐野昌綱殿を推挙いたしましょう。」
佐野は二人を見つめた。
期待と信頼が、その眼差しに宿っていた。
やがて佐野は深く一礼する。
「承知いたしました。」
「坂東武士の名を汚さぬよう、全力を尽くします。」
囲炉裏の火が静かに揺れる。
五月に開かれる天覧試合。
坂東と京を結ぶ、新たな一歩が、いま静かに動き始めようとしていた。




