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坂東の味、旧友への想い

夕暮れの鐘が京の町に響き始めた頃、佐野昌綱は信濃屋へ戻った。

暖簾をくぐると、囲炉裏の傍では北畠具教と水戸頼家が茶を飲みながら待っていた。

「お帰りなさいませ。」

水戸が穏やかに迎える。

佐野は旅装を解き、一礼した。

「ただいま戻りました。」

具教は微笑みながら尋ねる。

「今日はどのような一日でしたかな。」

「朝より上泉殿の道場へ参りました。」

「吉田兼成殿、兼盛殿、それに柳生殿とも知り合うことができました。」

その名を耳にした瞬間、具教の表情がふっと和らいだ。

「柳生殿……。」

どこか懐かしそうに目を細める。

「まだ私が伊勢にいた頃のことです。」

「一度だけ上泉様が伊勢へお越しになられました。」

「その折、柳生殿とも共に剣を学びました。」

「実直で、誠実なお方でしたな。」

佐野は頷く。

「今も変わっておりません。」

「道場の裏で畑を耕し、門弟を育てながら暮らしておられました。」

具教は安堵したように息を吐いた。

「そうですか……。」

「ご無事で何よりです。」

しかし、その笑みはすぐ静かなものへ変わる。

「ですが、今は会うべきではありません。」

「私が坂東へ仕えていることが知れれば、柳生殿にも迷惑を掛けかねません。」

「旧友とはいえ、今は互いの務めを果たす時でしょう。」

佐野は深く頭を下げた。

「承知いたしました。」

具教も静かに頷く。

「知らせてくださっただけで十分です。」

「ありがとうございました。」

少し間を置き、具教は照れくさそうに笑った。

「一つだけ、お願いがございます。」

「何なりと。」

「坂東の食べ物を、必要な分だけ送っていただけませんか。」

「柳生殿は自ら野菜を育てておられるとのことですが、それだけでは足りないでしょう。」

佐野は思わず笑みを浮かべた。

「確かに。」

「門弟もおりますし、あの畑だけでは足りません。」

具教も懐かしそうに笑う。

「柳生殿は昔から食べることがお好きでした。」

「稽古の後は誰よりも美味そうに飯を召し上がる。」

「よく上泉様にも笑われておりました。」

囲炉裏を囲む三人から、自然と笑みがこぼれる。

水戸も頷いた。

「それでは坂東の米や味噌があれば、きっと喜ばれるでしょうな。」

佐野はその場で信濃屋の主人を呼んだ。

「主人。」

奥から主人が姿を見せ、一礼する。

「お呼びでしょうか。」

「今後、坂東から荷が届いた際は、吉田神社へ届けていただけますか。」

主人は事情を察したように頷いた。

「承知いたしました。」

「吉田神社様へのお届け物としてお運びいたします。」

「それならば人目にも自然でございましょう。」

具教は安心したように主人へ頭を下げる。

「助かります。」

「吉田殿なら余計な詮索もなさらないでしょう。」

主人も穏やかに笑った。

「信濃屋にお任せください。」

「坂東と京を結ぶお役目、しっかり務めさせていただきます。」

佐野は囲炉裏の火を見つめながら静かに思う。

剣で結ばれた縁。

旧友を思う情。

そして一俵の米や一樽の味噌が、人と人との縁を支えていく。

その温もりこそが、戦乱の京で失われつつあるものなのかもしれなかった。

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