剣友と神主
京の朝は早い。
まだ東の空が白み始めた頃、佐野昌綱は上泉伊勢守の道場へ足を運んでいた。
「来たか、昌綱。」
「はい。」
言葉はそれだけだった。
二人は木剣を構え、朝露の残る庭へ踏み出す。
乾いた木剣の音だけが、静かな京の朝に響く。
打ち込み、受け流し、間合いを測る。
兵学館で幾度となく繰り返した稽古が、都でも変わらず続いていた。
やがて日が高くなり始めると、道場の門が次々と開く。
「おはようございます。」
「先生、本日も一番乗りは佐野殿でしたか。」
吉田兼成、兼盛の兄弟が笑いながら姿を見せる。
さらに奈良から都へ移ってきた柳生の一行も道場へ入ってきた。
皆が自然に上泉を囲み、朝の挨拶を交わす。
兼成が佐野へ微笑んだ。
「先生のお弟子でございますかな。」
上泉はすぐに笑って首を振る。
「いや。」
「弟子ではない。」
「皆、剣を求める仲間だ。」
柳生が苦笑した。
「先生は弟子にはしてくださらぬのでな。」
「仕方なく仲間にしていただいたのですよ。」
その言葉に道場中が笑いに包まれる。
上泉も肩を揺らした。
「今さら弟子など増やしても仕方あるまい。」
「皆、一人前の剣士だ。」
「共に学ぶほうが面白い。」
その雰囲気に心を動かされた佐野は、一歩前へ出る。
「上泉殿。」
「私も京におります間は、皆様と共に剣を磨きとうございます。」
「仲間に加えていただけませんでしょうか。」
上泉は満足そうに頷いた。
「もちろんだ。」
「剣の道に終わりはない。」
「今日からお前も剣友よ。」
柳生が木剣を差し出す。
「歓迎いたします、佐野殿。」
佐野は深く頭を下げた。
その頃には、道場の裏から土の匂いが漂ってきた。
見ると柳生が鍬を持ち、畑を耕している。
「柳生殿、自ら畑仕事を。」
佐野が驚くと、柳生は照れくさそうに笑った。
「剣だけでは腹は満たせませぬ。」
「野菜を育て、門弟を少しずつ集めながら細々と暮らしております。」
佐野はしばらく畑を見つめていたが、静かに口を開いた。
「もしよろしければ、小田家へ仕官なさいませんか。」
「貴殿ほどの腕なら、きっと重く用いられます。」
柳生はゆっくり首を横に振る。
「ありがたいお言葉です。」
「ですが今は、まだ自らを磨きたい。」
「己が納得できる剣に至るまでは、この暮らしを続けようと思っております。」
佐野はそれ以上勧めることはしなかった。
そこへ吉田兼成が畑を見回しながら笑う。
「柳生殿。」
「近頃は災難続きですな。」
「奈良を離れ、畑まで始められた。」
「一度、お祓いを受けてみてはいかがです。」
柳生が苦笑する。
「神主殿のお祓いですか。」
兼盛が胸を張る。
「もちろん。」
「兄より少しお安くいたします。」
すると兼成が負けじと口を挟んだ。
「何を申す。」
「私の祈祷のほうが御利益がある。」
「多少高くとも安心ですぞ。」
柳生は思わず吹き出した。
「結局、お金を取るのですか。」
兄弟は顔を見合わせると、声を揃えた。
「神社も食べていかねばなりませぬ。」
一瞬の静寂のあと、道場中に大きな笑い声が響いた。
上泉は腹を抱えて笑う。
「まったく。」
「神主というのは、商いも達者で困る。」
兼成は涼しい顔で一礼した。
「神も人も、腹が減っては務まりませぬ。」
そのもっともらしい言葉に、再び笑いが起こる。
剣を交え、畑を耕し、ときに冗談を言い合う。
京の片隅にある小さな道場には、戦乱の世とは思えぬ穏やかな朝が流れていた。




