表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
280/1009

都へ託した理想

閲覧室は静まり返っていた。

担当研究官は慎重に文書をめくり、最初の一頁を机上へ広げる。

治彦と氏治は、息を殺して文字を追った。

そこに並んでいたのは、朝廷への忠誠を飾るような美辞麗句ではなかった。

冒頭には、ただ一文。

「臣、小田氏治。関東の民を預かる者として、一つの願いを奏上いたします。」

氏治は小さく目を細めた。

「思い出した……。」

「これは戦の報告ではない。」

「余が、朝廷へ初めて自らの考えを書き送った文だ。」

治彦は続きを読み上げる。

「天下とは、一人の武家が握るものにあらず。」

「天は朝廷に在り。」

「国は諸国に在り。」

「民は、その間に生きる。」

担当研究官も思わず顔を上げる。

「当時としては、かなり独創的な考え方ですね。」

氏治は静かに頷いた。

「坂東だけを治めていて気付いた。」

「国とは、城ではない。」

「民の暮らしそのものだった。」

治彦はさらに頁をめくる。

そこには坂東で実施した政策が、一つずつ理由とともに記されていた。

兵学館。

自由都市。

合議。

交易。

治水。

そして最後に、こう結ばれていた。

「国を富ませる道は、奪うことではなく育てることにございます。」

治彦は思わず呟く。

「これは……。」

「まるで、現代の行政論ですね。」

担当研究官も深く頷いた。

「驚きました。」

「これほど体系立てて統治を論じた戦国武将の文書は、極めて珍しいでしょう。」

その時だった。

文書の最後に、一枚だけ紙質の異なる半紙が綴じ込まれていることに研究官が気付いた。

「これは……後から挟まれた紙ですね。」

慎重に取り外す。

そこには見慣れない筆跡で、短い注記が添えられていた。

『氏治公の奏上、上覧に供す。』

さらに、その下には。

『鷹司政家 花押』

治彦は驚いて氏治を見る。

「鷹司家が……。」

氏治も驚きを隠せなかった。

「まさか。」

「本当に帝のお目に触れていたのか……。」

それは、氏治自身も知らなかった四百年前の事実だった。

担当研究官は静かに言う。

「この注記が事実なら、この意見書は途中で止められたのではありません。」

「正式に朝廷へ届けられ、少なくとも鷹司家が取り次いだことになります。」

治彦は静かに椅子へ腰を下ろした。

四百年の間、誰にも読まれることなく眠っていたと思われた文書。

しかし実際には違った。

氏治の理想は、確かに都へ届いていたのである。

その時、担当研究官が桐箱の底を見つめて声を上げた。

「まだあります。」

桐箱の底板が二重になっていた。

慎重に持ち上げると、その下からさらに細い巻物が姿を現した。

表題はない。

ただ封紙に、一行だけ墨で書かれていた。

『御返書』

差出人の名は記されていない。

だが、氏治はその文字を見た瞬間、思わず立ち上がった。

「……この筆跡は。」

「鷹司家ではない。」

「これは――。」

閲覧室の誰もが固唾をのんだ。

四百年前、氏治が都へ送った理想。

その返事が、今まさに開かれようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ