表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
274/1021

書きかけの返書

若い学芸員に案内され、治彦と氏治は資料修復室へ急いだ。

修復室では、白い手袋をはめた職員たちが、一枚の和紙を慎重に広げていた。

「こちらです。」

担当学芸員が頭を下げる。

「未整理の小田家文書を整理していたところ、伊達家文書とは別の箱から見つかりました。」

治彦は和紙へ目を落とした。

右端には確かに、

『伊達政宗殿』

と書かれている。

氏治は思わず息をのんだ。

「……私の字だ。」

筆の運び。

止め。

払い。

間違いなく、自分自身の筆跡だった。

しかし文面は途中で終わっている。

まるで書きかけのまま中断されたようだった。

治彦が静かに読み始める。

『政宗殿。』

『書状、確かに受け取った。』

氏治は目を見開いた。

「受け取っていた……。」

「つまり、政宗の手紙は届いていたんですね。」

治彦も驚きを隠せない。

「ええ。」

「届かなかったと思っていたのは、私たちだけだった。」

続きを読む。

『そなたの志、よく分かった。』

『坂東に従わぬと言うなら、それでよい。』

『国とは、民のためにある。』

『民を守る志は、坂東も奥州も変わらぬ。』

氏治は静かに笑った。

「確かに私はそう考えていた。」

「従わせるためではなく、それぞれの国を良くするために学ばせた。」

治彦はさらに読み進める。

そこには政宗への期待が綴られていた。

『奥州を治める者は、奥州の理を知る者でなければならぬ。』

『坂東の理をそのまま移してはならぬ。』

『己の地に合う道を、自ら見つけよ。』

「……まるで兵学館の卒業証書ですね。」

治彦が呟く。

氏治は頷いた。

「弟子への最後の教えだ。」

しかし、その先で筆は止まっていた。

最後の数文字だけが書きかけのまま残されている。

『されど、一つだけ忘れる――』

そこで終わっている。

治彦は首をかしげた。

「続きがありません。」

「紙が破れたわけでもない。」

「書こうとして、そのままなんです。」

氏治も考え込む。

「呼び出しでもあったのか……。」

「あるいは急病か。」

その時、修復担当の学芸員が一枚の小さな紙片を差し出した。

「実は、同じ箱からこれも見つかっています。」

紙片には短く一行だけ書かれていた。

『返書、出立により未発送。帰城後清書。』

日付を見ると、返書を書いた直後に氏治は評定のため土浦を発ち、そのまま各地を転戦していたことが分かる。

氏治は静かに目を閉じた。

「そうか……。」

「私は書こうとしていたのだ。」

「だが、そのまま戦に追われた。」

治彦は静かに返書を畳む。

「つまり。」

「政宗は返事を待ち続けた。」

「そして、あなたは返事を書こうとしたまま、その機会を失った。」

二人の間に長い沈黙が流れる。

歴史を動かしたのは、大きな戦だけではない。

たった一通の返書。

それが届かなかったこともまた、人と人との距離を少しずつ変えていったのかもしれない。

その時、修復担当の学芸員が、さらにもう一つの資料箱を運んできた。

箱の表には、色褪せた札が結ばれている。

そこには力強い墨文字で、こう記されていた。

『兵学館 卒業評定録 秘』

氏治は目を見つめたまま、小さく呟いた。

「……政宗の卒業評定か。」

兵学館が、伊達政宗という一人の学生を、どのように評価していたのか。

その答えが、次の箱の中に眠っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ