退かぬ将、追う鬼
鬼の通せん坊。
その激戦を退けても、小田氏治はなお砦を動かなかった。
土塁は崩れ、柵は折れ、無数の矢が盾へ突き刺さっている。
負傷兵は絶えず運び込まれ、兵たちは夜を徹して修復を続けていた。
しかし氏治は、少しも焦る様子を見せない。
「敵はまだ多い。」
評定で真壁幹久が口を開く。
「殿、敵は疲れております。今なら押し返せます。」
氏治は静かに首を横へ振った。
「野へ出れば兵力はこちらが劣る。」
「攻めるには不利だ。」
「砦からは出ぬ。」
その一言で評定は終わった。
それからの日々は、まさに焦れる戦であった。
蘆名・佐竹は毎日のように砦へ兵を繰り出す。
鉄砲を撃ち、弓を射かけ、騎馬が挑発する。
小田も応戦するが、決して深追いはしない。
攻めては退き、退いては攻める。
小競り合いだけが繰り返される。
日だけが過ぎていった。
東北の秋は短い。
朝夕の冷え込みは日ごとに増し、山々はゆっくりと紅く染まり始めていた。
焦ったのは蘆名・佐竹であった。
このままでは冬になる。
兵糧も尽きる。
ついに総攻撃が命じられる。
法螺貝が鳴り響き、幾万もの兵が砦へ押し寄せた。
鉄砲が火を噴き、矢が雨のように降る。
真壁幹久は赤備えを率いて最前線を駆け回り、崩れかけた柵には自ら槍を取って立ちはだかる。
笠間幹永は各所へ兵を送り、兵の交代と補給を絶やさず、真壁の左右を支え続けた。
朝から夕暮れまで続いた猛攻。
しかし砦は最後まで落ちなかった。
日が沈む頃、蘆名・佐竹軍は静かに兵を引いた。
その翌朝。
見張りの兵が北の空を指差した。
「煙……。」
狼煙ではない。
空を覆うほどの黒煙が、黒川の方角から幾筋も立ち上っている。
間もなく一騎の伝令が駆け込んできた。
「申し上げます!」
「小山義広隊、敵兵站を急襲!」
「兵糧蔵、火薬庫、荷駄をことごとく焼き払い、無事離脱いたしました!」
本陣はどよめいた。
一方、蘆名・佐竹本陣にも凶報が届く。
兵糧を失い、火薬を失った軍は、もはや戦を続けられない。
蘆名は苦渋の末、命じた。
「全軍、黒川まで退く。」
その報を聞いた氏治は、初めて立ち上がる。
「真壁。」
「はっ!」
「先鋒を命ずる。」
「敵に息つく暇を与えるな。」
続いて笠間を見る。
「笠間。」
「はっ!」
「殿を命ずる。」
「追撃軍の隊列を守れ。敵はなお大軍、深追いは許さん。」
二人は深く頭を垂れた。
「ははっ!」
法螺貝が高らかに鳴り響く。
鬼の通せん坊を守り抜いた坂東軍は、ついに砦を開いた。
先頭には赤鬼・真壁幹久。
その後ろを整然と坂東の兵が続く。
守りの戦は終わった。
ここから始まるのは、退く敵を一息もつかせぬ、苛烈なる追撃戦であった。




