鬼の通せん坊
三月、白河。
浜通りへ小山義広と鹿島政道が進軍する一方、中通りでは蘆名・佐竹の大軍が南下を開始した。
これを迎えたのは二階堂と白河の諸将である。しかし兵力差は歴然としており、戦いながらの後退を余儀なくされていた。
そこへ真壁幹久、笠間幹永兄弟、そして宍戸政繁率いる小田軍が到着する。
真壁は諸将を前に静かに告げた。
「ここで一度だけ勝つ。」
その言葉どおり、宍戸は白河近郊の丘陵を巧みに利用し、一夜にして土塁と木柵を築き上げる。その後方には銃盾陣が並び、さらに竹と牛革で作られた天蓋が据え付けられた。
翌朝、蘆名・佐竹軍は一斉に攻め寄せた。
鉄砲が轟き、盾が敵を押し返し、土塁は幾度となく敵兵を退ける。
白河の戦は小田方の勝利に終わった。
しかし真壁は追撃を命じなかった。
「勝つことが目的ではない。」
「敵をここへ引き寄せることが目的だ。」
その日から白河は要塞となる。
宍戸は昼夜を問わず土塁を築き、柵を補修し、街道を掘り返し、敵の進軍を遅らせた。
春は過ぎ、初夏となる。
やがて梅雨が訪れた。
天蓋のおかげで小雨なら鉄砲は放てる。
だが湿気は火薬を蝕み、不発が目立ち始めた。
火薬も鉛も底を突き始める。
これ以上白河で戦う意味はなかった。
真壁は退却を決断する。
宍戸は退路を整え、橋を落とし、道を崩し、敵の追撃を封じながら二階堂、白河の兵を先に那須砦へ導いた。
やがて全軍の収容が終わる。
砦の門が閉ざされると、真壁は静かに息を吐いた。
「ようやく皆、入ったか。」
そして弟・幹永を呼ぶ。
「兵をまとめろ。」
「兄上……。」
「少々、痺れを切らした。」
逃げて守る戦は理解していても、その気質にはどうしても合わなかった。
真壁は赤備えを率いて砦の外へ歩み出る。
那須へ続く狭い峠。
そこへ蘆名・佐竹軍が雪崩れ込む。
真壁はただ一人、峠の中央へ立った。
「来い。」
怒号とともに敵兵が押し寄せる。
槍が唸る。
一人、また一人と敵兵が倒れ、狭い山道に折り重なる。
倒れた兵がさらに敵の進路を塞ぎ、後続は前へ進むことも退くこともできない。
赤鬼は笑った。
「これぞ戦よ。」
砦の上から味方は息を呑み、敵はその姿に恐れを抱いた。
そこへ一騎の馬が駆け上がる。
小田氏治であった。
「真壁、もう十分だ。」
「まだ敵はおります。」
「だから帰るのだ。」
氏治は笑みを浮かべながら肩に手を置く。
「これから先、半年も戦が続く。お前には最後まで赤鬼でいてもらわねば困る。」
真壁はしばらく黙っていたが、やがて豪快に笑った。
「承知いたしました、殿。」
こうして赤鬼は槍を収め、氏治と並んで那須砦へ戻っていった。
この峠での出来事は、後に語り草となる。
「鬼が峠を塞ぎ、誰一人通さなかった。」
人々はこの場所を鬼の通せん坊と呼ぶようになった。
戦が終わって幾十年。
峠には敵味方すべての戦没者を弔う石碑が建てられた。
春には山桜が咲き、冬には雪が静かに積もる。
旅人は足を止め、手を合わせる。
そこは勝者を讃える場所ではない。
命を懸けて仲間を逃がした者と、その前に倒れたすべての兵を慰める鎮魂の地として、人々に語り継がれるのであった。




